2021年バックアップ

勝海舟・勝小吉の本『氷川清話』『夢酔独言』


 NHKで「小吉の女房」というドラマの再放送をやっていて、それを家内がずっと見ていたのですが、私がたまたま見た回のドラマで、小吉が『夢酔独言』を書いている場面がありました。

 勝海舟の『氷川清話』は随分昔に読んだことがありますが、『夢酔独言』は読んでいませんでした。そこで、区の図書館の蔵書を検索すると中公クラシックスの『勝海舟/勝小吉 氷川清話 夢酔独言』という本があったので借りてきて読みました。

 

 勝小吉は勝海舟の父親です。旗本の小普請組でしたが、役職は得られなかったようです。ドラマでも色々な厄介ごとの相談に乗る姿が出てきますが、実際面倒見の良い人だったようです。その分、常に借金暮らしだったようです。

 小吉は酒は嫌いだと書いています。しかし、女通いは盛んだったようです。この本に書いていますが、ある武家の女性に惚れたことがあるそうです。そのことを女房に相談したら、「そんなに言うのなら貰ってきてやる。その代わり、相手も武家だから場合によっては自分が死ななければならないから短刀をくれ」と言ったそうです。そう言われても小吉は女房に短刀を渡してしまうのですが、その件は、なんとか無事収まったようです。

 このようなエピソードから「小吉の女房」というドラマもできたのでしょう。

 

 どちらの本も口語調の文章なので、比較的読みやすいですが、書かれていることは江戸時代、そして明治時代のことです。

 勝小吉の『夢酔独言』は最初に「子々孫々とも かたくおれがいうことを用ゆべし。」と書いていますが、内容は、自分の幼少の頃からの失敗などを赤裸々に書いたものです。

 小吉は、生涯に2回家出をして関西の方へ行こうとしています。1回目は14歳の時、2回目は21歳の時です。

 1回目の時は、江戸へ戻る時に崖から落ちて睾丸を怪我しています。実は、息子の勝海舟も子どもの時に睾丸を犬に噛まれ生死に関わるほどの怪我をしたのです。

 小吉の2回目の出奔の時は、戻ったら父親から座敷牢に入れられます。「檻の柱を2本抜けられるように工夫した」と書いていますから、本当に檻が設えてあったのでしょう。しかし、その頃息子の海舟が生まれていますから、どの程度の座敷牢暮らしであったのかはわかりません。座敷牢が許されたのは24歳の時とのことです。

 小吉は49歳で亡くなっていますが、その間、面倒見の良い人柄で色々なことに関わっているようです。

 子どもの頃から喧嘩ばかりしていた小吉ですが、剣の腕前はかなりのものだったようです。

 

 勝海舟の『氷川清話』も読み直してみました。

勝小吉の話が幼少の頃から晩年までの生き様を書いたものであるのに対し、勝海舟の話は、政治経済人物など、断片的な話題を集めたものです。

 吉本襄がまとめた『氷川清話』は直接海舟から聞いた話は僅かで、新聞や雑誌に載ったものを編集したもののようです。

 これに対して『海舟語録』江藤淳・松浦玲 編という本がありますが、こちらは巖本善治が直接海舟から聞いきとった談話集とのことです。

 講談社学術文庫の解説で、岩波文庫の『海舟座談』が談話が日付順になっていて構成がしっかりしているとあります。しかし、昭和5年に岩波から出されたものは、部分的に内容が削除されているそうです。

 明治時代に、勝海舟は伊藤博文の政策や、日清戦争への批判をしているのです。

昭和5年に出されたものは、軍部への批判や天皇制に関する記事が削られたり、文章の意味が勝海舟の考えとは真反対の内容になっているそうです。そうした時代だったのでしょう。

 こうした解説を読むと、講談社学術文庫版 江藤淳・松浦玲 編の物を選ぶのが良さそうです。

 

 氷川清話では、西郷さんのことはよく出てきます。江戸城無血開城への道を開いた西郷さんとの談判が歴史上有名です。勝海舟は、西南戦争で西郷さんが亡くなった後も、彼の名誉回復のために尽力し、それが認められて上野の山の西郷さんの銅像建設にも繋がったようです。

 西郷さんのことはいくつも氷川清話に出てきますが、坂本龍馬のことがほとんど出てきません。

唯一見つけたのが一箇所だけです。文章をそのまま引用します。

「坂本龍馬が、かつておれに、『先生しばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者も行って会ってくるにより添書きをくれ』といったから、早速書いてやったが、その後、坂本が薩摩からかえってきて言うには、『なるほど西郷という奴は、わからぬ奴だ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう』といったが、坂本もなかなか見識のある奴だョ」

 とある、この箇所だけです。

 

 明治時代になってから枢密顧問官となるなど明治政府のためにも働きます。しかし、歯に衣を着せぬ発言などが新聞雑誌などにも掲載されたようです。

 足尾鉱毒問題についても発言をしています。

 

 幕府の役人だった勝が明治政府のためにも働く姿に、福沢諭吉が『痩我慢の説』で批判をしていますが、それを勝は「批判は自由」と言い、さらに「福沢は学者だからネ。おれなどと通る道が違ふよ」と軽く受け流しています。

 福沢諭吉の勝海舟に対する確執はどうやら咸臨丸で一緒にアメリカへ向かった時から始まっているようです。それはそれで調べてみると興味深いです。

 

 勝海舟は、目の前の事に対して、どうすることが最善かを考え、自分でできることをやってきた人物なのでしょう。

 また、西郷隆盛との信頼関係を大切にし、西郷没後も遺族のために奔走し、名誉回復まで持っていったのは人情に厚かった父、小吉の性分を受け継いでいるのだと思います。

 

 まだ読まれたことに無い方は一読をお勧めします。

 

 

『AI vs.教科書が読めない子どもたち』

                 新井 紀子 著   2018年 東洋経済新聞社

 

 2018年に出された本なので、その時、評判になった本なのだと思う。しかし私は知らなかった。おそらく現役の教員の時なら読んでいたと思う。

 今回読んでみて、知らなかったことに触れる新鮮な発見もあったが、自分が危惧していたことが裏付けられる思いもした。

 

 この本は端的に言ってしまうと「AIにはできることとできないことがある。できないこととして文章の意味をわかるということがある。これは人間が得意とすることのはずである。しかし今の子どもたちは教科書に書かれていることの意味がわからないなど、人間が得意とするべき能力を身につけていない」といったことが書かれている。

 

 AIの発展というとSF映画の「ターミネーター」に出てくるような機械が人間を支配するような世の中を思い浮かべる。この映画のようにAIが自分で機械を生み出すような真のAIの到来点をシンギュラリティと言うそうだ。

 著者はシンギュラリティは来ないと断言する。

著者が「東ロボくん」というAIで東大入試問題を解かせるプロジェクトを始めたことは、ニュースで見たことがある。しかし、その目的は、東大入試問題を解けるAIを開発することではなく、AIには何ができて何ができないのかを探ることだったということはこの本を読んで初めて知った。

 AIが問題を解く方法は論理的な方法と統計的な方法がある。ビッグデータを使って入試問題を解くことは可能のような気がする。しかし、ビッグデータというのは何億というデータが必要で、そうしたデータを過去問から作るのは無理だということはこの本を読んで納得した。

 

 IBMのコンピュータ「ワトソン」がアメリカのクイズ番組でチャンピョンを破った話が載っている。しかし、このクイズには設問に一定の形式があるのだ。AIは一定の枠の中で検索することは得意であり確率的に答えを探すことも得意だ。

 苦手なのは文章の意味を理解することだ。

これを読解力と言うが、著者は読解力をいくつかの要素に分けている。これは参考になった。

「係り受け解析」主語述語の関係、装飾被装飾の関係を明らかにすること。

「照応解決」指示代名詞が何を指すか示すこと。

「同義文判定」2つの文を比べ同じ意味か違うかを判定すること。

「推論」生活体験や常識や様々な知識を動員して文章の意味を理解すること。

「イメージ同定」図形やグラフが意味するものと文章の正誤を判定すること。

「具体例同定」定義を読んでそれと合致する具体例を認識すること。

この中で、上2つはAIでもできるが、それ以下が難しいようだ。

 

 この読解力を中高生を対象に調べたところ、AIでもできる「係り受け」や「照応」からしてできない実態に著者は愕然としようだ。そして分析を進めたのが後半の文章である。

 実は、私は現場の教員だった時、子どもたちの読解力不足を実感していたのである。そこで、読書を勧めたり、ビブリオバトルという図書紹介を子どもたちが自らの考えと言葉で行う活動も推進してみたのだ。

 また、この本にも書かれているが、文科省から「アクティブ・ラーニングの推進」が言われ出した頃であり、それまでの講義式の授業の改革も行っていたのである。

 しかし、グループ討議なども盛んに授業に入れるように求められていたものの、限られた時間の中でそうした活動を多く入れることに疑問を感じていたのも現場ならではの感覚である。それについて著者は理想とするアクティブ・ラーニングは公立の中学校では出来ないと言い切っている。

 ドリル学習では点数は取れるようになるが、読解力は身につかないと言っているが私もこれには同感である。なんでもそうだが、やることがワンパターンになってくれば、当てることはできるが深く考えることはしなくなる。

 

 著者は、近い将来、シンギュラリティは来ないが、AIにとって代わられる仕事は増え、多くの人が職を失うことを危惧している。そうした時に、やはり人間でなければ出来ないことを確保しなければならないはずだが、教科書に書かれていることの意味も理解できないほど子どもの読解力が落ちているとなると心配になる。

 この本は、教育も含め将来についての大きな問題提起になっている。教育関係者、子どもを持つ親は一読をオススメする。

『大空の夢と大地の旅 ぼくは空の小説家』

         瀬名秀明 著  2009年 光文社

 

 他の本を借りに図書館へ行き、たまたま目に入ったので借りてきて読んだ本です。

瀬名秀明さんは『パラサイト・イブ』で第2回日本ホラー小説大賞を受賞しました。しかし、私はまだ瀬名さんの本は読んだことがありません。では、なぜこの本を手にとったかと言うと、この本には、瀬名さんがパイロット免許をとる話が載っていたからです。

 瀬名さんは、『大空のドロテ』というルパンを題材にした小説で主人公が飛行機乗りであるという設定にします。それを書いていて飛行機のことをもっと知りたくなり、パイロット免許をとってしまったのです。その免許を取る経緯が書いてある本であることがわかり借りてきたのです。

 この本には、車や電車で旅をする話も出てきます。それも面白いですが、私は、趣味でフライトシミュレーター をやっていることもあって、飛行機の操縦免許取得の体験談はとても興味深く読むことができました。

 もしかしたら、飛行機の操縦に興味の無い人には、それほどこの本の体験談は面白くないのかもしれません。

 例えばこんな話があります。

 「ピッチは飛行速度、パワーは高度 この三次元の常識を、まずは身体に叩き込まなくてはならない」という瀬名さんの言葉が出てきます。私は、これを読んだ途端、なるほどそうだなと思いました。

 ピッチは上下方向の動きのことを言います。

 素人判断だと、操縦桿を手前に引けば上昇しそうですが、スロットルを押してパワーをあげてやらないと、操縦桿を引くだけでは下手をすれば失速して飛行機は逆に落下してしまうのです。操縦桿を引かなくてもパワーをあげてやれば飛行機は上昇するということはフライトシミュレーター をやっていればわかります。

 こうしたことをもう少し詳しく説明してくれています。しかし、そうしたことに興味を持てるかどうかです。

 フライトシミュレーター をやっている方には逆に読むことをお勧めしたい本です。

 

 瀬名さんは、アメリカで飛行機の操縦免許を取ります。

これは良く言われることですが、旅費などを計算に入れても、費用的にも日本国内で免許を取るよりもアメリカの方が安く短期間で免許を取得できるようです。

 しかし、9.11以降、外国人がアメリカで飛行機の免許を取るには条件も厳しくなっているようです。学生ビザを取るためには、飛行学校もFAA141認定校であることが必要だそうです。

 そうした免許取得のノウハウについて詳しく知りたければ、ネットにもそうした情報はありますし、専門の本も出ているのでそちらを読めば良いでしょう。

 私がこの本をお勧めするのは、瀬名さんが体験されたその時その時の心のありようが読み手に伝わってくるからです。

 アメリカに渡り、飛行機操縦の訓練を始め、慣れない英語で教官や管制官とのコミュニケーションにも苦労します。そのやりとりも興味深いです。

 そして、検定の日を迎えます。

 実技試験の前に口頭試験があります。

 試験官は最初、法規関係の質問をしましたが、瀬名さんがそれらを暗記していることをわかるとすぐにそうした質問をやめ、次のような質問をしたそうです。

「きみはよその空港に行って、一休みして、いまレッドランズ空港に帰ろうとしている。ところが飛行前チェックをしてみたら、鍵をRマグネトの位置に回すとエンジンが落ちてしまうことに気づいたとしよう。Lマグネトのときは、エンジンは回転している。この時、きみは飛べるか」という問題です。

 飛行機は、RとLの点火器があり、通常は真ん中のBOTHの位置にして飛びます。どちらか一方が点火すれば飛べるようになっているのです。

 もう一題は「オイル温度ゲージの針は正常の範囲を示している。だがオイル圧力ゲージはゼロだ。このとき何が考えられるか」

 という問題です。最初の質問に「飛べます、ただしお勧めはしません」と答えます。次の質問は答えがわからず、いろいろ推論を並べます。

 このやりとりはもっと詳しく書いてあります。そしてこの部分はなかなか興味深いです。

 

 この後行った実技試験は問題なく終わったようです。

 試験官からは、「きみはほとんど不合格だ。なぜなら口頭試験がよくなかったからだ」と言われ焦りますが、その後「きみは合格だ」と静かに言われホットします。

 実は、試験の後、試験官は書類をまとめながら彼に「これからも試験を受けに戻ってくるかね」と聞いているのです。瀬名さんは、さらに上級の計器飛行の免許取得も考えていましたから「はい」と答えているのです。

 日本に帰ってきてから操縦の先輩にこのことを話すと、どうやら試験官は、瀬名さんがこれからも航空の勉強を続けていく人間なのか見た上で合格させたようなのです。

 

 免許を取った後、小説の取材もあってモロッコの空を飛んだりする話や、計器飛行の免許を取るためにまたアメリカへ行く話も出てきます。

 さらに、最後には日本での免許に書き換えるための手続きをする様子が書かれています。

それぞれヒヤヒヤしたり一喜一憂したりする瀬名さんの心の動きが読んでいてよくわかり、面白く読むことができる本でした。

 フライトシミュレーター など飛行機の操縦に興味のある人にオススメの本です。

 

『ノマド 漂流する高齢労働者たち』

 ジェシカ・ブルーダー 著     鈴木素子 訳   春秋社2018年10月 2400円+税

 アカデミー賞の発表が4月26日にあり、「ノマドランド」が作品賞、監督賞、主演女優賞を獲得しました。

 その原作となるのが今回紹介する『ノマド』です。

この本は、2018年に出版され、私は2019年に読みました。今回、記事を書くためにもう一度読み直しました。やはりとても良い本です。

 

 この本の紹介は、部分的に内容を詳しく書いていますので、それはご承知おきください。

 「ノマド」は遊牧民や放浪者を意味する英語です。アメリカでは、キャンピングカーを住居として放浪の旅を続ける高齢者がたくさんおり、自らを「ノマド」と呼んだりします。

 日本でもキャンピングカーが流行った時期がありました。私も、退職したらキャンピングカーで日本を旅するのも良いだろうと夢を描いたこともあります。

 「ノマド」の場合は、そうしたレジャーとは事情が違うようです。

 

 家のローンが払えなくなったり、家賃が高騰して家に住めなくなった人たちが自動車を住まいにして、季節雇用の職を求めて移動しているのです。

 誇り高い彼らは自分たちのことを「ホームレス」とは言いません。「ハウスレス」なのです。

 レジャーではありませんから、使う車も中古車です。中古のスクールバスを改造して使っている人もいます。

 

 この本の主人公は「リンダ」と言う女性です。

シングルマザーで2人の娘を育てましたが、60代になってから、中古のキャンピングカーを手に入れ「ノマド」の仲間入りをします。それまで住んでいた家は、電気水道代も払えなくなっていたのです。

 大学で建築学を学び、施工管理の仕事をしたこともある彼女ですが、職が無いのです。年金が500ドルぐらいでは住居費を払ったら生活していけないのです。

 

 アメリカには「ノマド」の人たちを受け入れる季節労働があります。受け入れると言うよりも当てにしていると言った方が良いかもしれません。

 ビーツの収穫、キャンプ場のスタッフ、大手オンラインショップの大倉庫の仕事などです。これらは季節によって大量の人手を必要とします。大倉庫の企業が「ノマド」の人たちのためにパーキング施設を作っているほどです。

 リンダもこの3つの仕事をこなしています。その様子を著者は取材して書いていますが、なかなか過酷な職場であることがわかります。

 とても高齢者には勤めきれないのではと思えてしまいます。例えば、大倉庫の仕事ですが、職種によっては1日の歩行距離は29㎞、昇降ステップ数は44階分にもなるそうです。

 リンダは最初に勤めた時に、手に持つハンディスキャナーで手首を痛めてしまいます。その後、この機械は軽量化されたようですが、それでもなかなか曲者の道具です。棚に品物を収納する仕事がありますが、収納し終わると次の棚までの予定時間のカウントダウンが始まります。作業が遅いとすぐに叱責されるのだそうです。

 管理社会の徹底されたアメリカならではの姿かなと思いました。同じ企業の日本にある倉庫ではどうなのかとふと思いました。

 キャンプ場スタッフの仕事は国立公園であっても業務は民間に委託されています。本来、業務を管理すべき政府が丸投げ状態らしく、それをいいことに民間業者は「ノマド」の人たちからサービス残業当たり前のブラック企業ぶりをし放題のようです。

 しかし、そうした中でもリンダはキャンプ場スタッフのプロフェッショナルぶりを見せています。文句は言いません。言ったら契約期間を減らされたりするのです。

 ノマドの人たちが集まる冬は温暖な場所がアリゾナ州の砂漠地帯にあります。そこにRTRという人気の集会があります。アラスカ出身のボブ・ウェルズが企画した集会です。彼は仕方なく車上生活になった時、とても惨めな気持ちになったそうですが、その後、意識を切り替え、シンプルでも豊かな生活ができるようになりました。その自分の体験から得た知恵を書いた『安上がりのRV生活』というウェブサイトを立ち上げました。それを読む人たちが増え、実際にボブの周りに人が集まるようになったのです。年々その数は増え、2017年には500台程にもなったそうです。

 もちろんリンダもその参加者です。

 

 ボブは色々な車上生活のノウハウを無償で提供しています。

例えば、多くの都市では車中泊を法律で禁止しており、有料のRVパークは1日3000円ほどかかります。そうした中、いかに安く、安全に車中泊をするかなどです。

 安全にというのは、砂漠地帯とは違って都市部ではかなり重要なポイントのようです。リンダも駐めていた車の窓ガラスを石で割られています。

 夜中に車に近寄る足音や、窓を叩くノックも恐怖のようです。それが警官であってもです。ただ、ボブは警官にも親切な人がいると言っています。

 ノマドの人たちはほとんどが白人です。もしかすると有色人種の場合、安全度はもっと下がるのかもしれません。

 

 リンダには夢がありました。

「アースシップ」と呼ばれる完全自給自足の家を建てることです。

大倉庫に働くのもそのためです。この本の最後の方で、アリゾナ州チワワ砂漠の端にリンダはそのための土地を買い求めます。ガラガラヘビの住む砂漠の土地をアースシップに作り変えようとするところでこの本は終わります。

 

 この本に出てくる人たちは、誇り高く、高齢ではありますが、あっけらかんと明るくたくましい人たちです。普段は孤独に車で移動していますが、仲間とのつながりを大切にし、必要とあれば無償で助け合う人たちです。

 「税金を払わない人たち」というレッテルを貼って非難したり、容易に車中泊ができないように規制をする動きもあるようです。しかし、高齢になっても年金も少なくてリタイアしにくく、しかも職もないとなれば、その人たちの生き方を批判するだけでは問題は解決しないと思いました。

 

 私は映画をまだ観ていません。しかし、本が話題となり、大倉庫の企業も映画に協力するなど、問題を隠すことなく、議論していこうとする姿勢はアメリカの良い面かもしれません。

 この本は、現代の大きな問題に一石を投じた価値ある本だと思います。

 

補足、「ノマド」の人たちがバイブルと呼ぶ本が何冊かあり、そのうちの一つがジョン・スタインベックの「チャーリーとの旅」です。「ノマド」を読まれたら、この本も読まれると良いです。

リニア新幹線関係の本2冊

 友人から読んでみて、と紹介されて読みました。

 私は乗り物好きですから、リニア新幹線については、電磁波の問題とか報道されてはいましたが、完成したら1度は乗ってみたいぐらいに考えていました。

 しかし、この本を読んで、「これは大変なことだ。乗ってみたいなんて言っていないで、工事をやめさせたいものだ」と思いました。

 そして、この本に挙げられていることが、報道で十分取り上げられたり、議論されていないことが問題だと思いました。


『リニア新幹線 巨大プロジェクトの真実』の著者橋山禮治郎さんは大学の先生で経済政策が専門です。『悪夢の超特急』の樫田秀樹さんはジャーナリストです。

 私は、橋山さんのおっしゃる経済面の問題に頷けます。約9兆円もの負担をJR東海は自社で賄うとしています。

 しかし、驚きなのは、2013年にJR東海の社長が「(リニア中央新幹線計画は)絶対にペイしない」と発言していることです。これは現在の東海道新幹線の利益があるからそれでどこまでも賄うということなのでしょう。

 そこまでして絶対に必要なものなのかです。

必要な理由として、災害など、あるいは年数が経った東海道新幹線の抜本的な工事のために東海道新幹線が使えない時の別ルートとして必要との意見。また、短時間で東京大阪を結ぶことによる経済効果などがあるようです。

 橋山さんは、そのことの答えとして、従来の新幹線方式による中央新幹線を提案されています。私もその方が良いのではないかと今は思っています。

 リニア新幹線では高速性を維持するために可能な限り直線の路線になっています。通過する県の要望もあって、各県1駅という案になっていますが、その駅をどれだけの人が利用するのでしょう。

 まずは名古屋までを開業させ、それから大阪までの工事を進めるようです。JR東海のホームページを見ると名古屋大阪間の環境アセスメントを4年後に始めるとだけあります。

 名古屋までリニアで行って、そこからわざわざ新幹線に乗り換えて大阪へ行く人がどのくらいいるのでしょうか。私だったら最初の1回はリニアを使ったとしても、その後からは大阪へ行くなら最初から新幹線を利用します。

 こうして考えて行くとかなりの赤字を抱え、それを東海道新幹線の利益で賄って行くということなのです。そんなに利益があるのなら、安全を考えた設備投資に回すのは良いとして、運賃の値下げをしてもらいたいものです。その方が経済効果はあるのではないでしょうか。

 

 樫田さんの本では、建設残土のことと、地下水脈の分断のことが載っていました。南アルプスの下を抜けるトンネルの残土を標高2000mの箇所に捨てるというのです。また、大井川水系の地下水脈が分断されるために干上がる河川が出てくる可能性が指摘されています。

 これについては、流石に静岡県が工事中止の声をあげています。

 JR東海のホームページにも「静岡県、流域市町等の理解が得られず、実質的に工事が進捗しない状態が続いており、2027年の開業は難しい状況となっています。」とありました。

 また、岐阜県ではウラン鉱脈のある場所を通る可能性が書かれていました。これについては私は初耳のことです。

 

 2冊の本を読んで、私が知らなかったというか、考えなかったことを指摘された思いです。

そうして思ったのは、なぜこうしたことがもっと公の場で議論されないのかということと、計画が動き出したらなぜやめられないのかということです。

 それは今年迎えようとしているオリンピックについてもです、多くの国民はオリンピック中止でもやむを得ないと思っているのではないでしょうか。その分の費用をコロナ対策に回した方がよほど良いと思います。

 戦争に突き進んだ過去は、けっして過去ではなく、いまも、動き出したら止められない国なのかという感想をこの本の内容とは別に考えさせられました。

 ドイツでは、リニア新幹線計画を中止したのです。原発中止もしましたが。そう言えば、リニア新幹線は原発一基分ほどの膨大な電気エネルギーが必要なのだそうです。原発がどうしても必要との理由づけにならなければ良いですが。

 リニア新幹線は、駅と途中の非常用設備の工事が進んでいます。今なら、それらを従来の新幹線方式用に改めることもできるかもしれません。また、従来の新幹線方式なら南アルプスの地下を通らず、もっと利用者の多い場所に路線を変更することも可能なのではないでしょうか。

 お気楽に、「出来上がったら1度は乗ってみたいものだ」などと言っている場合ではないのかもしれません。

『北極探検隊の謎を追って』

人類で初めて気球で北極点を目指した探検隊はなぜ生還できなかったのか。

 

  ベア・ウースマ 著 ヘレンハルメ美穂 訳       青土社 2021年3月26日

 最近は図書館から借りたり、先輩から借りた本を読むことが多かったのですが、この本は出てすぐに購入しました。

 寒いところは苦手なのですが、今までも南極や北極に関する本は興味があって読んでいました。しかし、スエーデンの気球での北極探検隊のことは知りませんでした。

 山の先輩の横山厚夫さんに話すと、さすが極地にはお詳しく、この探検家について書かれた本を4冊貸してくださいました。

 

 その中の2冊がこれです。

どちらも40年以上前に出版された本です。『気球エルン号の死』はスエーデンの作家が書いたものです。小説仕立てになっています。今回紹介する本の著者も当然ながら読んでいます。

 もう1冊は、日本極地研究振興会の近野さんという方が書かれた本です。230ページほどの文庫本ながら、この探検の全体像がわかりやすく書かれています。

 

 サロモン・アウグスト・アンドレー を隊長とする3人の冒険家は、1897年7月11日、大勢の人が見守る中、気球で北極点へ向けて飛び立ちます。しかし、海上に出た途端に、急降下します。3人は重りの砂袋を捨てますが、重りであり、方向をコントロールするために必要な長いロープまで外れてしまい。今度は気球はどんどん上昇してみんなの視界から見えなくなってしまうのです。

 途中、彼らが放った伝書鳩が無事飛行を続けていることを伝えますが、それ以来ぷっつりと音信が途絶えてしまいました。

「1年ぐらい私たちの音信がなくても決して心配しないように」とアンドレー は言っていたようなのですが、この探検隊の行方にはいろいろな憶測が飛び交ったようです。

 1900年にナンセンが公式の場で、生きて帰ってくる希望はありませんと言ったことがこの探検隊について、世間の話題に一区切りをつけたようです。

 1933年8月に、たまたまクヴィト島(白い島の意、他にもニューアイスランドなどの名称もある)を通りかかったアザラシやセイウチ猟の船が島に立ち寄り、彼らの遺品を発見するのです。

 この島は、いつもは流氷に閉ざされて船を近づけることなどできない島だったのですが、その時は海面が開いて上陸できたのです。

 遺品の中には、日記もあり、またカメラのフィルムも現像可能だったので、行方不明だった間のことがだいぶわかってきました。

 それによると、飛び立って3日後の7月14日には、水素ガスの漏れなどから、これ以上飛行を続けられなくなり、氷上に着陸したことがわかりました。そこから苦難の連続で氷上を徒歩で移動します。クヴィト島を見つけ10月5日に上陸しますが、そこからの行動が不明なのです。

10月8日までは判読が難しい断片的な日記があるのですが、それからは全くありません。

 現在、3人の死の定説になっているのは、旋毛虫症で衰弱して亡くなったというものです。

シロクマの肉を生で食べるとそうした病気になるそうです。3人は、生でシロクマの肉を食べていたようなのです。

  

 さて、本書の紹介です。

 著者のベア・ウースマさんは、イラストレーターでしたが、途中で医大に入り医者になった人です。スエーデンでは、アンドレー探検隊のことは子どもでも知っているそうです。この著者が12歳の時に、「旋毛虫(探検隊の死の原因とされている)入り」という曲を姉と作っているのには笑ってしまいます。

 彼女は大人になってからアンドレー 博物館を訪れます。そして「探検隊の装備を目にした私に何かがおきた」と書いています。「たったいま見たもののことで頭がいっぱいになり」「アンドレー 探検隊はわたしの探検隊になった」のだそうです。

 そして、この探検隊の最大の謎、クヴィト島に上陸してから3人が亡くなるまでを解き明かそうと調べ始めるのです。

 

 お医者さんらしく解剖所見も調べます。

その解剖所見の書類は、博物館の地下室にあった資料の中から彼女が見つけ出したのです。

これまで、解剖所見から推理することは誰もやっていないのです。

 今なら、遺体が少しでも残っていれば、分析が可能なのでしょう。しかし、アンドレーはスウェーデンでは急進的な火葬主義組織に入っていたようで、遺体は火葬されてしまったのです。

しかし残されたものからの分析の仕方は、さすがお医者さんだと思いました。

 

また、イラストレーターとしての腕も役立っています。

 彼女が描いた現場の見取り図からは、他の人たちが見過ごしていたことが見えてくるのです。

 

 発見された遺品の日記は、過去に出版された本の著者も参考にしてきたことでしょう。

しかし、彼女は記録に残っている事柄を一覧表にまとめ、それを分析したコメントを右端に書くようにしています。その時の彼らの心理状態についても具体的な根拠を持って考察しています。

 

 3人の死因についても、最初から決めつけるのではなく、12項目の可能性について、それが考えられる根拠、考えられないとする根拠、そして著者の考えを並べるという方法でまとめられています。

 謎解きをしていきながら、最後の方に、4ページだけ、彼女が推理した探検隊の最後の場面が書かれています。

 この本は、実際に起こったことを理解しながら、推理小説のように読める本でした。

 

 

追記

 翻訳にあたったヘレン・ハルメ美穂さんは、スエーデン在住の日本人です。

原書は、かなり大きな図版入りの本と文章だけのペーパーバックスがあります。この本は、2冊の良いとこどりをしてコンパクトな本にまとめたとのことです。

ホームページがありますから、紹介しておきます。

https://www.mihohh.com/

『定刻発車                      日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?』

                     三戸祐子 著    新潮文庫

 私は中学生の頃、鉄道ファンでした。友人と一緒に鉄道同好会を作ったほどです。時刻表を毎月購入して学校へ持って行っていました。漫画本を持って行くと叱られますが、時刻表なら良かったのです。

 

 自分で時刻表から列車ダイヤを引いたりもしましたから、タイトルにある、日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのかについてはすでに知っていました。

 

 でも江戸時代までさかのぼってその理由を見つける発想は私にはありませんでした。

 

 この本を読んで良かったと私が思ったのは直列システムと並列システムという考え方と、カゲスジという鉄道マンの技についてです。

 

 直列システムと並列システムについてですが、この本の解説の言葉を借りながら少し説明します。

 まず、機械などの組み立てに使う部品を使っての説明です。

 信頼度99パーセントの部品と言うとかなりの信頼性に感じます。

 

しかし、これをつなげて行くとどうなるかと言う話です。

0.999×0.999×0.999は、0.997029・・・ということになります。

これは1000回のうち3回は故障するという意味にもなります。

これが部品1000個をつなげて行くと0.37になってしまうのです。

これはほとんど信頼できないと同じです。

 危険を回避するには、部品の数を減らすこと。それぞれの部品の信頼度を非常に高くすることになります。

 

 しかし、万が一、一つの部品がダメでも、他でカバーできるシステムだったらどうでしょう。これが並列システムです。

 

 信頼度0.6の頼りない部品を3個並列にした場合の計算は次のようになるのだそうです。

 R=1-(1-0.6)×(1-0.6)×(1-0.6)1-0.4×0.4×0.40.936

と信頼度が0.6を上回ってしまうのです。

 

 これは具体的にはどういうことかと言うと、例えば安全確認を3重に行ったりすることです。目で見て、指で指して、声に出して確認するという鉄道マンが日常やっていることです。

 鉄道だけでなく、他のことでも当てはまります。書類のチェックを複数の人数で行うこともシステムの並列化です。これは私も職場でやっていました。

 

 並列化は時間がかかってしまいますが、この本ではシステムの中に直列と並列をバランスよく組み込むことが良いと書かれていました。

 

 もう一つは冗長設計というものです。

 

 先ほどの並列システムを組み込むことも冗長設計ですが、システムにゆとりを持たせることを指します。

 

 具体例として列車ダイヤをあげると、わざとゆとりのある列車ダイヤを組み込み、本来列車が走っていない時間帯にカゲスジと言って架空の列車ダイヤを引いておくのだそうです。

 時間の遅れもゆとりがあれば吸収できますし、架空の列車ダイヤをあらかじめ作っておけば、即対応もできます。

 事故でなくてもそこに臨時列車を簡単に走らせることもできるわけです。

 

 時間も空間もゆとりを持たせることは安全につながるという感覚は、なんとなくわかっていました。しかしそれを理路整然とこの本には書いてあったのです。それを読んで、何となく経験でやっていたことが裏づけられた思いがしてスッキリしました。

 

 私はこういう読み方をしましたが、タイトル通り、日本の鉄道の正確さを納得できますし、色々な読み方ができる本です。

 

 

 

 

 

 

『血脈』

    佐藤愛子 著作   文春文庫   上・中・下巻各800円+税

下の家族一覧はクリックすると拡大します。

この本は600ページを超える分厚い文庫本3冊上中下になって文春文庫から出ています。
 山歩きの先輩に「とても面白い本」と言われ、貸していただいて読んだ本です。
 サトウハチロウなど佐藤家の人々はこのような方々だったのかと驚きながら、そして少々あきれながら読みました。
 「読むときは、これが必要ですよ」と先輩から渡されたのは、家族関係を一覧にしたものでした。
 確かに、この一覧表にある人物が次々と出てくるのですから、この人はどういう関係だったかなと、この表がないとわからなくなります。
 サトウハチロウの名は、若い方はご存知でしょうか。私は、名前ぐらいは知っています。しかし、彼の父親の佐藤紅緑のことは知りませんでした。私よりも年配の方なら佐藤紅緑もご存知なのでしょう。


 大正から昭和にかけて出版された「少年倶楽部」月刊雑誌があります。父が愛読していた雑誌のようで、その復刻名作集を父が購入しました。それに、佐藤紅緑が少年向けに書いた小説が掲載されていました。それを読まれていた方もいらっしゃるのだと思います。

 サトウハチロウは、小説家、作詞家であり、「少年倶楽部」にも少年向けの小説を書いています。しかし私が知っているのは作詞家としてです。
 私が高校生の頃ギターで弾いていたフォーククルセダーズの「悲しくてやりきれない」は彼の作詞でした。
 「りんごの唄」や「長崎の鐘」も彼の作詞ですが、それは私にとっては古い昔の歌です。

 佐藤紅緑の少年向け小説は、とても読みやすく話に引き込まれて行きます。主人公が少年のことが多く、少年倶楽部でも人気があったのだと思います。
 そうした、佐藤紅緑やサトウハチロウの実生活が尋常とは思えないものであ ったことをこの小説を読んで初めて知りました。

 波乱万丈の佐藤家のことはテレビドラマ化されているようなので、ご覧になり知っていた人もいるのでしょう。しかし私は観ていません。
 佐藤紅緑には、二人の奥さんと、一人のお妾さんがおり、サトウハチロウと著者の佐藤愛子は、異母兄弟です。

 サトウハチロウは母を偲ぶ感性あふれる詩をいくつも書いていますが、この本によると、母親の葬式にお女郎屋のつけ馬をつけて帰ってきたということも出てきます。
 あまりの実態と詩の内容との違いに、「詩というものは小説みたいにつくるもんですか?」と佐藤愛子の母であるシナが語る場面もあります。

 サトウハチローは、父、紅緑に反発して不良となり、感化院があった小笠原で少年時代を過ごしたようです。そうして父に反発しながら、大人になると同じように、次々と離婚結婚を繰り返し、それぞれに子どもを設けています。
 それらの子どもたちが無関係になるのではなく、時には同居したりして入り乱れるものですから、家族一覧図がないとわけがわからなくなります。

 佐藤愛子さんがあとがきでこう書いています。
「若い頃の私は、紅緑の小説を造り物だと批判し、ハチローの詩を嘘つきの詩だと軽蔑していた。だが、『血脈』を書くにつれてだんだんわかってきた。欲望に流された紅緑も本当の紅緑なら、情熱籠めて理想を謳った紅緑も本当であることが。ハチローのエゴイズムには無邪気でナイーブな感情が背中合わせになっていることも。」とあります。そう考えれば、素晴らしい作品は嘘ではなかったと納得できます。そして、尋常ならざる生き方を突き動かして行く血がこの佐藤一族全てに、その濃い薄いはあるものの流れていたのだなあと読み終わって思う小説でした。

 多かれ少なかれ、私たちの身の回りにもこうしたことはあるのではないでしょうか。それをたくましく、少々したたかでも乗り越えて強く生きる力は見習いたいものだと思いました。

『下山の哲学』

    竹内洋岳 著 2020年 太郎次郎社エディタス     1800円+税

 『下山の哲学』というタイトルから、下山について何か論じる本なのかと思いました。しかし、本を開くと、彼が登った8000m級の山14座について書かれた本でした。

 彼は日本初の8000m峰完全登頂者なのです。

 その下山の様子を中心に書かれた本としては、今までに無い本と言えますが、どこにも論文のような文章はありません。『哲学』とはたいそうな。と少し思いました。

 しかし、読んでいくと、登山への考え方が彼なりの論理で貫かれており、行動はその検証になっていることがわかってきました。

 「大切なのは登頂することではなく、登頂して無事帰ってくることです。頂上はゴールでも折り返し地点でもありません。登山の行程は一つの輪のようなものです。頂上が輪のどこに位置するかは、ゴールしてはじめてわかること」と書いています。考えてみれば、14座を登頂し無事帰って来たということは簡単なことでは無いのです。日本人でもこの挑戦を行い、途中で遭難して亡くなられた方もいます。

 竹内さんもエベレストでは病気で生死の境をさまよい。ガッシャーブルムでは雪崩に巻き込まれて大怪我をし、背骨にシャフトを入れる手術をしています。

 また、挑戦しても登頂できずに敗退したこともあります。しかし、それらのことを「しかたがなかった。運が悪かった」とは彼は考えません。「しかたがない。と言ってしまうとそれで終わりです。思考停止で、後には何も残らない。運が悪かったというのもそうですが、私はもうこれ以上考えませんと言っているのと同じ」というふうに考えています。

 そうした考えで行動を振り返り、反省して次に生かしているから14座も無事に登れたと言えるのかもしれません。

 しかも「言うは易く行うは難し」なところを強い意志で彼は確実に実行しているのです。

 2010年にチョ・オユーに登った時も、7700mまで登った時、雪崩の破断面を上に見つけ、引き返しています。同行した中島健郎があとで「ぼくひとりなら行っていた」と言うくらいの場面です。それだけではなく、そのときのことを、彼は危ないと感じた瞬間から10歩も進んでしまったと反省しているのです。

 また2回目のチョ・オユーでも、登頂して後、下山でルートがわからなくなってしまいます。迷ったら元の場所まで戻るのが登山のセオリーですが、それを1歩1歩登るのも大変な8000mで登り返すのです。そして、正しいルートを見つけ無事下山します。

 この本は、いわゆる「哲学書」ではありません。

14サミッターとしては、いかに登頂したがが話題になるところでしょう。しかし、この本は、登頂は出発からゴールまでの輪の中の一つであると言う彼の考えを、実践を通して証明した本になっていると私は思いました。

 読み終わって、「たいそうな」と思ったタイトルも腑に落ちるように思いました。

『凍える海』

 極寒を24ヶ月間生き抜いた男たち  ヴァレリアン・アルバーノフ著 海津正彦 訳

ヴィレッジブックス社から文庫本で2008年に出版されています。

 本の帯に椎名誠が「面白かった! こういう逸品といってもいいような話を読めるしあわせをつくづく感じながら一気に堪能してしまった」と書いています。また、この本の解説も椎名誠が書いています。

 椎名誠は、解説を書くにあたって本文を読んだ人を想定して書いたと書いています。私もたまにそうですが、本文を読む前に解説を読んでしまうことがあるからです。

 私は、本文を読む前の人を想定してこの文章を書くことにします。

 副題に「極寒を24ヶ月間生き抜いた男たち」とありますから、生還できた実話であることは話しても良いでしょう。

 北極探検に出かけたロシアの聖アンナ号が氷に閉じ込められて2度の冬を越します。

航海士だったアルバーノフはこのままではいけないと判断し、船長から航海士の任を解いてもらい一人で脱出する決意をします。

 後から一緒に行くことを求める仲間が出ますが、アルバーノフは同行を強制してはいません。

船長からはスキーで行くことを勧められますが、彼は重いソリとカヤックを引いて行くことを決め、準備をします。それが結局良かったことは、後でわかってきます。

 

「氷で閉じ込められた」ということでは、イギリス人シャクルトンが南極の氷に船が閉じ込められ、そこから全員奇跡的に脱出できた話が思い浮かびます。

 こちらは、イギリス人と違ってロシア人ということもあるのかもしれませんが、もっとドロドロとした人間臭いドラマになっています。

 その中で、生き抜いた著者であるヴァレリアン・アルバーノフの強い意志には驚かされます。しかし、強い意志だけでは到底敵わない極寒の自然がそこにあります。

 例えば、やっと島に近づいてもそこには、見渡す限り高さ30mほどの垂直の氷河の末端がそそり立っていて、「青みを帯びて透きとおり、ナイフで切り落としたように滑らかだ。その氷崖の上縁が三日月のように反り返っている」と書かれているように行く手を遮ってしまうのです。

 こうした危機的な状況からも奇跡的に脱出していますが、よく読むと、アルバーノフの行動がその奇跡を引き寄せているようにも思います。

 例えば行く手を遮る氷河の断崖にわずかな登路を見つける場面も、氷の海に落ちても力一杯パドルを漕ぐことで体を温め、その状況から脱出する場面も、生き抜こうという強い意志があればこそです。

 それは、途中で亡くなって行った仲間の様子が、壊血病のせいもあるでしょうが、あまりにも無気力で生き抜こうとすることを簡単に諦めてしまうのと対照的です。そうした仲間を叱咤しながら彼はフローラ岬を目指します。

 フローラ岬に達した時の喜びははかり知れないものだったでしょう。

 こうして生還したアルバーノフですが、それから5年後の1919年に38歳の若さで亡くなっています。病死とも事故死とも諸説あるようです。

 

 椎名誠さんの解説では、極地探検の書名が他にも紹介されています、私がまだ読んでいない本もありました。この本を読まれて、極地探検に興味を持たれたら、そうした本も読まれると良いと思います。

 この本の翻訳者は海津正彦さんです。この本の前に紹介したK2の本も海津さんの翻訳でした。

『凍える海』のヴァレリアン・アルバーノフは、アムンセンやスコットやシャクルトンほどは知られていないかもしれません。よくこの本を翻訳してくださったと思います。

 

世界第二の高峰K2に関する本

 エベレスト(8848m)よりも西、パキスタンの北部、カラコルム地方にある世界第二の高峰がK2(8611m)です。

 K2は、エベレストよりも低いのですが、登山者に対する遭難者の比率はエベレストをはるかに上回っているのです。

 私が最初に読んだ本は、『K2 嵐の夏』という本です。その後、K2関連の本を立て続けに読みました。


 『K2 嵐の夏』クルト・ディームベルガー著 海津正彦訳 2000年山と溪谷社

 本の帯にもあるように13人の遭難死者を出した1986年K2登山の詳細を生還した著者が書いたものです。クルトのパートナーのジュリーも亡くなっています。

 過去最高の27名の登頂者が出るという年でもあったようですが、この本を読むと、その登山者の過密も事故の原因になっていることが伺えます。

 登頂はしたものの下山の最中に亡くなっている人が多いのです。

 こうした山では、他者のテントなどを借りることが当たり前のことなのだろうかと読んでいて思いました。他者のテントをあてにした登山者でテント内が超過密になってしまい、睡眠もろくに取れない状態など現場の状況が詳しく書かれています。

 過密といえば、エベレストの山頂近くの渋滞の写真が今年新聞に出て驚きました。2021年1月12日まで板橋の植村直己冒険館で日本山岳会主催のエベレスト展が行われていますが、そこに展示されている写真パネルにもエベレストの登山者渋滞の写真がありました。

 8000mを超える世界で、天候の急変があればたちどころに生命は脅かされます。テントの中に避難をしていても、居るだけで命が削られていくのが8000mを超えるいわゆるデスゾーンのようです。

 

 もう1冊は『K2 非情の山』チャールス・ハウストン ロバート・ベーツ共著

伊藤洋平訳 1956年白水社

 こちらはアメリカ登山隊の記録です。1953年の登山では、登頂を目前にしながら隊員の一人が静脈の血栓症にかかったため、その隊員を降ろすことにします。その最中に、5人が次々と滑落する事故が起きるのですが、それを一人がザイルの確保で止めるのです。

 残念ながら血栓症の隊員は、確保してあった場所へ隊員が戻るとおそらく雪崩に流されてしまったのでしょう、折れたピッケルだけ見つかり行方不明になってしまったのです。それ以外の隊員は無事生還できました。

 この本は、後ろの方に遠征日記や装備品の一覧があるなど記録としてもしっかりとした本になっています。

 横山厚夫氏からお借りした本ですが、1956年出版の本ですからだいぶ古くなっています。新装された本が出ても良さそうなものですが、それは無いようです。古書としてもなかなか見つからないですし、ネットで調べても当時350円の本が5000円ほどになっています。

 

 この図は、『K2 非情の山』に掲載されているものです。寝袋に包んだ病人のギルギーを確保していたシェーニングのザイルに次々と滑落していく仲間のザイルが絡まり、結局シェーニング一人がみんなを確保することになったのです。ナイロンザイルが細く伸びてショックを吸収したそうです。


 先の2冊を読んだ後、この2冊を読みました。

『K2 非情の頂』ジェニファー・ジョーダン著 海津正彦訳 2006年 山と溪谷社

『K2 苦難の道程 東海大学K2登山隊登頂成功までの軌跡』出利葉義次著2008年 東海大出版会

 東海大の本を読むと、天候に恵まれるとこうも違うのかと思います。もちろん成功させるまでの準備や判断など大変なものだったと思います。読みやすい文章で書かれています。残念なのは、この本には写真は図版が1枚もないことです。

 ジェニファー・ジョーダンの本は、K2に登頂した5人の女性に焦点を絞って書かれた本です。5人のうち3人がK2の下山中に亡くなり、あとの2人も他の山で遭難死しています。かなり、一人一人の女性の人間性に迫る内容になっています。なぜそこまで登山に取り憑かれるような生き方なのかと思ってしまいました。

 

 K2の本を紹介してきましたが、読むのをまずオススメするのは、最初の2冊です。しかし『K2 非情の山』は手に入りにくいでしょう。図書館にもありませんでした。

 

 さて、K2の本を読んできましたが、私はK2の地理的な把握が今ひとつできませんでした。

ベースキャンプからの写真を見て、肩の部分はわかりますが、南東稜、南南東リブはこれだろうかと推測するだけです。どこに「ハウスのチムニー」と呼ばれる難所がどこにあるのかわかりません。

 もっとわからないのは、どうやってK2のベースキャンプへ入山するかです。

何日もかかるのは本を読めばわかります。断片的な写真が頭の中で繋がっていかなかったのです。

 その時に役立ったのが、私の趣味の一つであるフライトシミュレーター です。これで、パキスタンはインダス川沿いの町、スカルドからどのように近づいて行くのか確かめました。かなりの距離です。『K2 非情の山』のアメリカ隊はスカルドからベースキャンプまで16日かかっています。

フライトシムでもその距離を実感しました。ヘリコプターでは飽きるほど時間がかかるのです。

 バルトロ氷河に出てからも長いです。バルトロ氷河から別れてK2へと向かう分岐点のコンコルディアと呼ばれる場所にフライトシム でヘリコプターを着陸させ景色を眺めてみました。

 奥に見事なピラミッドのK2が聳え、右にはブロードピークがあるのがわかりました。

 分岐点のコンコルディアからK2ベースキャンプまで歩いて1日かかるのです。

 K2に関しては、読書だけでなく、フライトシミュレーターも使っての理解となりました。本当なら、バーチャルではなく、現場の空気の中で山を眺めたいところです。そうすれば、崇高な山々を感動を持って眺めることできるでしょう。

 K2に関しては後2冊読もうと思う本がありますが、本の紹介はここまでとします。

『洞窟オジさん』

     加村一馬 著  2015年 小学館

 本よりも先に私はNHKBSでの4話連続の放送を見た。本もオススメだが、テレビドラマもかなり良い。今はNHKオンデマンドで見ることができる。

 テレビドラマでも「ほぼ実話です」といったテロップが表題とともに出るが、本を読むとそれが頷ける。

 この本は、2004年の小学館から出された『洞窟オジさん 荒野の43年 平成最強のホームレス 驚愕の全サバイバルを語る』に加筆・改稿したものだそうだ。

 本編の後にはテレビドラマで加村一馬を演じたリリー・フランキーさんと加村さんとの対談や、テレビドラマの演出家、吉田照幸さんによる解説、さらに加村さんのサバイバル術が図解入りで載っている。

 これは文庫本だが、中身の濃い本である。

 演出家の吉田さんはテレビドラマのキャスティングを考えるときに、加村さんがリリー・フランキーさんに似ていることに気がついたのだそうだ。

 テレビドラマは他の配役も良い。

繰り返しになるが、このテレビドラマはオススメだ。

 

 さて本の紹介だが、テレビドラマには無いエピソードもある。

それは熊に襲われた時のことだ。

 テレビではイノシシにわざと自分に向かって突進させ、あらかじめ掘ってあった落とし穴に落とすシーンが出てくる。これは、本にも出てくるし、図解入りのサバイバル術にも書いてある。

 熊に襲われたシーンはテレビには出てこないのだが、本に書かれているこの時のことはなかなか衝撃的である。加村さんは必死に走って逃げ、追いつかれそうになる。木に登って逃れようとするが、熊も木登りは得意である。迫ってくる熊に対して反撃するのだが、さてどうするか詳しくここに書くのはやめておこう。

 吉田さんはこのシーンをドラマ化することも考えたそうである。しかし、着ぐるみでもCGでも嘘っぽくなりそうでやめたのだそうだ。

 

 墓参りのシーンがテレビで出てくる。吉田さんはテレビでは過去を乗り越えた場面として扱いたかったようだが、実際には、加村さんは墓石を蹴飛ばしてやろうかと思ったそうである。

 幼少期に親から虐待され、雪や雨の日でも一晩中墓石に縛り付けられたのだそうだ。親からの度重なる虐待から逃れるため家出をしたのだが、街へではなく、山へ向かったことが、加村さんを非行の道へ進ませなかったのだろう。

 加村さんは、足尾銅山の山の奥の方の古い廃坑に住みかを見つけたのである。

 愛犬シロと一緒だったのも幸いだった。「怖さには耐えられるが、寂しさには耐えられない」と加村さんが言っている。

 そして、ウサギを捕まえ、蛇やカエルを食べるサバイバル生活が始まる。

 

 愛犬シロを病気で亡くし、山を降りて、各地を転々と移動するが、出会った人が良かったのも幸いだった。

 

 茨城県小貝川の橋の下で生活していたときに、九州から来たホームレスの元会社社長から文字の読み方書き方を教わっている。加村さんはほとんど学校へ行っていないので、文字の読み書きができなかったのである。

 この元社長さんも大した人だと思う。平仮名から教え、徐々に漢字も教えるのだが、宿題を出しテストもするという徹底ぶりなのだ。

 

 小貝川での生活から、生まれ故郷の群馬にある福祉施設にお世話になるが、そこに自分の居場所を見つけたようだ。加村さんの栽培する無農薬のブルーベリーは県外からも買いに来る人がいるそうである。

 

 この本の最後にある図解入りのサバイバル術を見ると、生きるための様々な工夫を自分で行なっていたことがわかる。学校に行かなくても考える力を身につけていったのだろう。

 テレビゲーム漬けになっている子どもよりよほど賢い。

 

 テレビドラマとこの本の両方ご覧いただきたいと思う。

『百名山の人 深田久弥伝』

     田澤拓也 著  2002年 TBSブリタニカ 

             現在は角川文庫から文庫版でも出ている

『百名山の人 深田久弥伝』田澤拓也 著

 
 深田久弥の名前は、テレビで百名山のタイトルがつく映像が流れるのでご存知の人が多いだろう。
その山の魅力を独特の表現で褒め称える言葉も語られるので、『日本百名山』を読んだことの
ない人も、なんとなく深田久弥についてわかった気になっているかもしれない。

 この本を読んで初めて知ったことがとても多かったというぐらい私は氏のことを何も知らなかった。

田澤氏のこの本は
第一章 茅ヶ岳に死す
第二章 二人三脚
第三章 運命の再会
第四章 追わるる人
第五章 ヒマラヤの道標
第六章 百名山の人
というように書かれている。
 前妻の北畠美代さん、再婚された木庭志げ子さんのことが伝記には多く書かれている。
それだけ、このお二人は大きな影響を深田氏の人生に与えたということだろう。

 深田氏が山歩きに興味を持ったのは、小学校最上学年の時に、富士写ヶ岳(942m 石川県)に登った時このと、足の強いことを褒められたからだそうである。そして帝大の1年生の時には八ヶ岳に三人で登っているが、後輩の一人をそこで亡くしている。
 高校から大学時代には、同人誌に参加するなど文学を志す姿が浮かび上がってくる。
 25歳の時に日露戦争の軍神・広瀬中佐を描いた『実録武人伝』は「組み立てが新しい」と横光利一氏に褒められている。
 その後、深田氏が務めていた改造社の懸賞小説に応募してきた北畠美代さんと結婚するが、その頃から深田氏の小説の書風が変化したようだ。美代さんが下書きしたものを、深田氏が書き直して深田久弥の名前で発表するという第二章の表題のことが行われたようだ。
 美代さんの故郷の青森県立図書館には、美代さんの原稿が保存されており、それによると、深田氏の小説には、ほとんど美代さんが書いたものと同じ表現や内容が使われていることをこの本では紹介している。
 再婚相手の志げ子さんは、深田久弥氏が高校生の時の初恋の人だそうだ。その初恋の人と大人になって再会したのである。
「雨飾山」という2000mに満たない山が百名山に入っている。この山がどういう意味を持つ山なのか知っている人は知っている。詳しくはこの本を読んでほしい。
ただ、双耳峰の雨飾山を見て「左の耳は僕の耳、右ははしけやし君の耳」(はしけやし=愛しけやし 愛おしいの意)と深田氏が口ずさんだということだけ書いておこう。
美代さんと正式に離婚が成立した時には、志げ子さんのお腹には第二児がいたそうである。
 その二男の沢二氏と私は1回だけ山歩きをご一緒したが、沢二さんのことがこの本に出てくると、ふと懐かしく思い出される。

 深田久弥氏が世の中に広く知られてくるのは、「百名山」の前に、ヒマラヤに関する本があった。
昭和31年には、日本隊がマナスル初登頂を成し遂げるが、その年に深田氏は『ヒマラヤ 山と人』という本を出している。
 他にも記事を書くなどしており、深田久弥が山の第一人者と認識されるようになってきたようだ。
遭難があると、新聞社は深田にコメントを求めたらしく、それを嫌がる様子がこの本の第五章に書かれている。

 『日本百名山』は朋文堂の山岳誌『山と高原』に連載されたのが最初である。連載を持ちかけたのは大森久雄氏である。
1回に2つの山を紹介したようだが、1つの山の紹介に400字ずめ原稿用紙5枚というスタイルはこの時に決まったらしい。
 連載が終了した後、新潮社から『日本百名山』が刊行されている。
この本が昭和40年に第16回読売文学賞の評論・伝記賞に選ばれたのである。
日本百名山を批評文学として捉え推薦したのは小林秀雄である。
『日本百名山』に関しては、大森久雄氏と小林秀雄氏が大きな貢献をしていることが読める。
この辺りのことは第六章 百名山の人 に書かれている。

 山の先輩から『深田久弥 山の文学全集』をいただいたが、その付録の冊子に望月達夫さんが深田氏の原典主義について書いている。孫引きをけっしてせず、資料は原書にあたっているというのである。
 そういえば、この伝記にも私の山の大先輩である横山厚夫氏が、深田氏から頼まれて神田で本を探して送ることが書かれている。
 そうして膨大な量の資料を元に原稿を書き、推敲して研ぎ澄まされた文章にすることが深田氏の文学の力なのだろう。
 余計なことかも知れないが二人三脚時代も、前妻・美代さんの懸賞小説投稿原稿を約半分まで削って作品化したようだ。
 俳句を若い頃から好んでいたことも、研ぎ澄まされた文章にすることと関連があるかも知れない。
深田氏は、本当は恋愛小説のようなものは苦手だったのではないだろうか。それならそれで良いと私は思う。
 人の心の機微を描かないと文学作品と呼ばれないなどと私は思わない。
小林秀雄氏が評論文学として日本百名山を認めているように、素晴らしい文学作品だと思う。
凡人がダラダラと山の紀行文を書くのとはわけが違うことを改めて認識する機会となった。


 

回想の第三帝国 反ヒトラー派将校の証言

 アレクサンダー・シュタールベルク著 鈴木直一訳        1995年  平凡社  

 ヒトラー関連の本は、他にも、このページの下の方に建築家で軍需相を務めたシュペーアの本を紹介してあります。

 シュタールベルクは、マンシュタイン元帥の伝令将校を務めた人物です。

若い時から、ナチに抵抗を感じ、ナチに入党を迫られるのを回避するために国防軍に入ります。

当時、ナチに組織的に対抗できたのは国防軍だったようです。

 騎兵連隊の後戦車部隊に所属しますが、従兄弟のヘニング・フォン・トレスコウ少将の推薦で、マンシュタイン元帥の伝令将校となります。

 これは、反ヒトラーの動きをしていたトレスコウがマンシュタインを反ヒトラーの仲間に引き入れるために行ったことのようです。

 トレスコウはヒトラー暗殺のために動き、暗殺が失敗すると自決します。

 マンシュタインは、スターリングラードで包囲されたドイツ軍を救おうと、ヒトラーに作戦変更を直接訴えるなど、ヒトラーに盲従する人物ではなかったようです。しかし、「プロイセンの元帥は謀反は起こさぬ」という信条からヒトラー暗殺に加わりませんでした。

 ヒトラーは、スターリングラードからの撤退を許さず、現地の司令官に死守するよう命じます。

ヒトラーの暗殺計画には加わらなかったものの、無策なヒトラーに腹立ち、対立して行ったマンシュタインはヒトラーから解任されてしまいます。

 そうした動きをそばにいて客観的に観察していたのが著者のシュタールベルクなのです。

マンシュタインも『失われた勝利』という回想録を戦後書いています。この本は図書館にも無く、古書でも高価なので、読んでいません。

 読んでいませんが、シュタールベルクの方が、ヒトラーやマンシュタインなどの将軍を客観的に観察し、よくその有様が描かれているのかもしれません。

 

 本のカバーの折りかえしに

 この本は、とりわけ、父親たちの生きた時代を理解することが困難な若い人々に向けて書かれている。「どうしてお父さんたちは、ああなるまえに阻止できなかったの」「どうしてあんな精神病者の後について行ったの」という質問を受けるたびに私はなんとか答えを見つけようと四苦八苦したものである。この本は歴史書にとって代わろうとするものではない。・・・ここに報告することは、私自身の体験である。  (プロローグより)

 とありますが、こうした実体験が語られた本は時代の証言であり、貴重であると私は思いました。

南極の本を読む その2 バード少将の本

 南極については、アムンセン、スコット、シャクルトン、チェリー・ギャラード、といった人たちの本を今まで読みました。アムンセンやスコットについては、名前をご存知の方は多いと思います。シャクルトンやギャラードについて知っている人は、本を読んだ人でしょう。

 リチャード・E・バードについては、前回『南極物語』を読むまで私は知りませんでした。

このことを南極の本を貸してくださった横山厚夫さんにお話ししたら、バード少将の本を2冊貸してくださいました。それが、『孤独』と『バード南極探検誌』です。


 『南極探検誌』は南極の鯨湾近くにリトル・アメリカという基地を建設するまでのこと。『孤独』はバードがリトル・アメリカからさらに南極点に近づいたところに観測基地を作り、そこに一人で越冬して気象観測をした時のことが書かれています。

 『南極探検誌』は、後編を出版するつもりで前半部分だけ先に出版された本です。バードが飛行機で南極点に到達したことは後半に載せる予定になっていたようですが、後半の本が出版されたのかどうかはわかりません。

 探検誌の方は、南極探検のための資金や資材集めから基地建設、飛行機による観測などバードの南極探検がよくわかる本です。訳者あとがきを見ると後半の章立てまでされています。ですから、後半の本が出版されていて、それを読むことができるのなら、前半のこの本と、後半の本でバード少将の南極探検をとても良く理解できます。ネットで検索しましたが、後半の本は見つかりません。

 

 『孤独』はリトル・アメリカの基地から極点へ向かって200㎞ほど入ったところに作られた観測所です。そこに1934年の3月から8月までの5ヶ月間1人で生活して観測をした時のことが書かれています。

 内容については、北大山岳部のホームページにわかりやすく書かれているので、そこをご覧ください。

https://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/Center/Review/trance/kodoku.html

 

 私は、この内容もさることながら、翻訳されたこの本が昭和14年に日本で出版されたことに驚いています。昭和14年と言えば、日中戦争の最中です。この後2年後には、対米戦争も始まります。

 当時の世の中の様子は私は想像するしかありません。この本には訳者あとがきはなく、扉の部分に「興亜聖戦の第一線に立つ幾百萬の同胞に本書を捧ぐ」とありますが、それは私には出版をするためのカモフラージュに見えてしまいます。

 この本を読めば、アメリカ人の勇気や偉業だけでなく、その人間性に共感できます。

 

 おそらく、その後どんどん軍国主義の世の中に国民全体が飲み込まれて行ったのだと思います。

様々な人の生き方から学び、自己の豊かな人間性を向上させていこうということがしにくくなり、画一的な風潮に押しながられて行ったことを想像します。

 しかし、それは過去のことではなく、現代でも起こりうること、あるいはすでにある?ことなどを危惧することが必要だと思います。

 幅広い読書は、陥りやすい罠にはまらないための手立ての一つと言えます。

 

南極探検の本を読む

 昨年夏にも南極探検に関する本は読んだのです。スコットやアムンセンについての本を読んだあと、シャクルトンについて何冊も読みました。それはこのコーナーでも紹介してあり、バックナンバーで見ることもできます。

 今回は、チェリー・ガラードの『世界最悪の旅』の全訳本を読むことができたので、その紹介が中心です。

 中公文庫から出されている『世界最悪の旅』加納一郎訳は抄訳です。中田修氏による全訳本が出されたのは、2017年です。杉並区の図書館にも抄訳しかおいていなかったのです。山登りの大先輩である、横山厚夫氏が持っていらっしゃることを知り、お借りして読むことができました。

 その際に、関連する本を何冊も貸していただき、読んでいる最中です。

 抄訳と全訳ではこれほど本の厚さも違うのです。値段もかなり違いますが。

しかし、今回、全訳本を読んでみて、この本は自分でも購入しようと思いました。

 

 全国の図書館に蔵書されていて当然の本だと私は思います。

 

 全訳本

  アブスリー・チェリー ギャラード『世界最悪の旅』中田 修 訳 

                           オセアニア出版社  7000円

 

 全訳本には、スコットと一緒に亡くなった医師のウィルソン氏が描いた絵がたくさん掲載されています。丁寧な観察で描かれた南極の景色も素晴らしいのですが、そうした絵だけでなく、クレバスに落ちた時の様子や、「最後の犬」と題された絵も印象に残ります。テントに戻る人物の後ろ姿しか描かれていないのですが、主人と歩く犬の足跡が片道だけしかついていないのです。

 

 南極点に向かうための補給所設営のための旅で、ガラードとパワーズとクリーンの3人とポニーが氷に乗ったまま流されるという事件があるのですが、それは抄訳本には掲載されていません。パワーズの書いた文章がそのまま全訳本にはありますが、氷の隙間からシャチが狙う様子など恐ろしい感じが伝わってきます。

 

 このように抄訳本では味わえないものが全訳本にはあるのです。

購入しない方は、ぜひ地元の図書館への蔵書のリクエストをしてください。

 この中で、全訳本に続いてオススメなのが、全訳本の訳者である中田修氏による『南極のスコット』です。清水書院のCentury Books という新書版のシリーズの1冊です。この本は、南極探検の概要について把握するのに良い本です。

 『白い道』ローレンス・カーワン著 加納一郎訳 社会思想社 は南極だけでなく北極も含めて極地探険の歴史を知ることができる本です。

 ド・ラ・クロワの本は少々古いですが、『南極物語』に出てくる、バード少将については、私はこの本を読むまで知らなかったのです。

 リチャード・バード少将は飛行機で初めて南極点に達した人です。そのあとも単独で南極での観測を行ったり、アメリカ海軍を指揮して大規模な南極調査を実施した人だったのです。なぜ今までこの人のことについて知らなかったのだろうと読んで思いました。

 この2枚の写真は、フライトミュレーターの写真です。私がシミュレーターでヘリコプターを操縦し、南極のロス島の上を飛んでいるところです。向こうに見える山はエレバス山という火山です。近年では2005年に小規模な噴火があり溶岩も観測されているそうです。

 世界最悪の旅は、南極の冬、太陽が登らない暗黒の中をシムの写真だとエレバス山よりも右奥になるテラー山の麓のクロージア岬まで皇帝ペンギンの調査に行く冬の旅のことを指しています。

 現代の基地が写っているのは、ハットポイントと呼ばれる場所で、スコットの基地はここよりさらに20㎞ほど左奥にあります。

 冬の旅では、スコットの小屋からハットボイントまで来て、そこから鋭角に折れ曲がるように凍った海沿いの道を進んでいます。

 なぜ、ハットポイントを通らずに最短距離を直進しないかなどは、フライトシムで飛んでみればすぐわかります。半島の尾根になっていて、急斜面があったり起伏にとんだ地形をしていて、とてもソリを引いて進める場所ではないのです。

 本を読んでいて、3日かかったとか5日かかったとかの記述がありますが、それがどの程度の距離なのかは、フライトシミュレーターで飛んで見るとよりわかるのです。もちろん、実際に行けば、寒さや標高の高さ(南極点の標高は2800mだそうです)などがわかるのでしょうが、本で読む想像力+私の場合はフライトシミュレーターで南極大陸を体験しているところです。

ヒトラーの建築家

ヒトラーの建築家 東 秀紀 2000年9月NHK出版

 

 アルベルト・シュペーアについて書かれた本です。彼は建築家ですが、ヒトラー政権において軍需相も務めた人です。

 ニュールンベルグ裁判で有罪を言い渡され、20年ののちに釈放され、76歳で亡くなっています。

 史実に基づいて書かれた本ですが、会話など小説的に描かれています。その分、内容に入って行きやすい感じがします。

 

 ヒトラーに関する本は、読んでみたいとも思っていませんでした。しかし、山の大先輩から貸していただいた20年前に出版されたこの本は、私の知らなかったことが多く新鮮な内容で、興味深く読むことができました。

 ヒトラー政権の狂気の時代にいた人物たちの中で、シュペーアが人間的な理性や道義心を持った人であり、彼が主人公なので、ヒトラーやその他の登場人物が描かれていても穏やかに読むことができたことも読みやすさの一つだと思います。

 彼は、かなりヒトラーに近い立場にいました。友人関係に近いと言えるくらいです。戦争末期にヒトラーが焦土作戦を命じたときに、ドイツの将来を考えてそれに反対します。秘密裏に妨害工作もします。焦土作戦を妨げる動きをしたあと、シュペーアがベルリンの地下壕にヒトラーに会いに行きます。この本では、ヒトラーがそうした動きを「知っていたよ」とシュペーアに告げ、それでも許したとされています。

 ニュールンベルグ裁判では、他の戦犯被告人が無罪を主張したのに対し、シュペーアがただ一人自分の罪を認めたそうです。

 シュペーアが死刑ではなく、20年の刑になったのは、ホロコーストに関して関与していなかったからとされています。しかし、戦後色々な調査の中で、「知らなかった」というのは偽りである証拠も出てきているようです。

 

 彼がヒトラー政権の狂気の時代ではなく、違う時代に生まれていたなら、もっと素晴らしい形で活躍したことだっただろうと推測されます。

 

 興味を持たれた方はネットの中古、古書店あるいは図書館でこの本を探してみてください。

 

フォッケウルフ戦闘機

フォッケウルフ戦闘機  鈴木五郎著 

            光人社NF文庫

 

 古書店の100円コーナーで見つけた本です。これが意外と興味深い本でした。

 そもそも、私はドイツの戦闘機についてメッサーシュミットぐらいしか知らなかったのです。

 読んでいくと、フォッケウルフという飛行機はメッサーシュミットよりも高性能であったことがわかりました。

 ナチス御用達のメッサーシュミット社が優遇されていて、フォッケウルフが優秀な飛行機であったにもかかわらず、なかなか量産されなかった事情など読んでみて初めて知ることでした。

 メッサーシュミットは高速ですが、旋回性能がそれほど高く無いので、一撃離脱方式の戦法に向いていたようです。

 また、航続距離もそれほど長くなかったようです。

 フライトシミュレーターにはメッサーシュミットがあるので、零戦と飛び比べをしてみました。

旋回性能は格段の差があり、零戦に軍配が上がります。

 フォッケウルフですが、タンク技師は優遇されない事情の中で、色々なアイデアを持って設計したようです。最初の機体は空冷のエンジンを積んでいます。日本の場合は零戦など空冷のエンジンが主流ですが、ドイツでは水冷のエンジンが主流だったのです。タンク技師は前線においても修理しやすいエンジンや機体の設計をしたようです。

 空冷のフォッケウルフは日本にも輸出されました。その記事も載っています。日本の紫電改のような感じです。

 この本に刺激を受けて、プラモデルを買ってしまいましたs。Fw190D9という水冷の機体です。

長鼻ドーラという愛称があったようです。

昔は、模型屋が歩いていける範囲に3軒もあったのですが、今は1軒もありません。今の子どもたちはプラモデルを作らないのでしょうか。

 ヨドバシカメラがプラモデルを置いていることを知り、そこで買いました。

 

 本の方は、フォッケウルフのことだけでなく、メッサーシュミットやスピットファイアーのことも書かれています。

 また、優秀なパイロット達の話もたくさん出てきます。それがまた興味深いです。

イギリスのダグラス・R・S・バーダー少佐は両足を切断する負傷を負っても義足でハリケーンを操縦しドイツ機を撃墜したそうです。

 しかし、敵機と接触し、パラシュート降下で助かったのですが、ドイツ占領地の病院に入れられます。そのことを知ったドイツのエース アドルフ・ガーランドが見舞いに来た話は秀逸です。

 ガーランドは決して尋問せず、飛行場を案内までしたそうです。

その好意に甘えてバーダー少佐はメッサーシュミットのコクピットにも乗せてもらったようですが、その時「飛行場を1周するだけ飛ばさせてもらえないか」とガーランドに言ったそうです。ガーランドも「気持ちはわかるが、あなたが飛べば私もすぐ後ろを飛ばなければならなくなる。もう撃ち合いはしたくないから、許してもらえませんか」と言ったそうです。

 義足のバーダー少佐の話は映画にもなったそうですが、どうも映画の評判は良くないようです。

 ガーランドは、戦後アルゼンチンの空軍顧問をしたようですが、『始まりと終わり』という本が翻訳で出されています。それも読んでみたいのですが、少々高価で、しかも図書館には無いようです。

 

 今回紹介した本は、古書で100円で手に入れましたが、定価も790円ですから、戦闘機に興味がある方は読む価値があると私は思います。

 プラモデルは完成しました。

 搭乗員は付属していませんから、別に1/72の搭乗員セットを購入しました。ただそれらは機外に立つ人物ばかりなので、手足を外し、付け直してコクピットに収めました。

風景写真との合成にしてみました。


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