木暮理太郎氏は、明治時代から昭和初期にかけて奥秩父や日本アルプス登山の黎明期を切り開いた人です。当時は、現地の山案内人を雇って登山をするのが普通でしたが、仲間だけで、探検的な登山を行ったのです。
そして日本山岳会の第三代会長も務めました。
日本アルプスだけでなく、ヒマラヤに関する見識も高かったそうです。
著書としては『山の想ひ出』という本が平凡社から文庫本上下巻で出ています。
今回訪れた群馬県太田市は木暮理太郎氏生誕の地であり、石碑があります。
今回の訪問は、私にとって山歩きの大先輩である横山厚夫氏が、群馬県太田市の「木暮理太郎翁の足跡を語り継ぐ会」の事務局長、浅海崇夫氏と会員の宮澤正樹氏にお会いすることが一つの目的でした。
横山さんは、この会のために木暮理太郎年譜の作成に協力されたのです。
もう一つは、木暮理太郎翁生誕の地を訪れ、そこから見える秩父連山などの山並みを見ることです。
今回は快晴でしたので、こちらの目的も十分達成することができました。
車の運転は、山岳ガイドの打田鍈一氏が引き受けてくれました。
こちらが木暮理太郎氏の生家前からの景色です。残念ながら、送電線の鉄塔が邪魔をしています。木暮理太郎氏が毎日眺めていた景色にはこの送電線は無かったことでしょう。
画面正面やや左寄りに両神山が見えます。右側のフタコブラクダの背のような山は御荷鉾山です。
上の写真をパソコンで加工し、送電線を消して夕方の色調にしてみました。
これで昔の景色に近づいたでしょうか。ガードレールを消すのを忘れました。
赤城山は間近に見えます。この日、赤城山の方から風が吹いていましたが、冷たい風ではありませんでした。
木暮理太郎翁の足跡を語り継ぐ会の浅海さんと宮澤さんは、展望の良い場所を4ヶ所も案内してくださいました。
最後に訪れたのが金山城跡です。
太田市は、鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞が生まれた地です。金山城は新田一族が築城したそうです。
今でも山城の様子がわかる地形をしています。ここには良い展望台がありました。展望台からは東京方面が良く見えました。富士山も見えます。
この写真ではわかりませんが新宿のビル群やスカイツリーも見えました。
手前の工場はスバルの工場です。太田市には中島飛行機の工場があったのです。
展望台の後はすぐ下にある資料館に立ち寄りました。かなり古い時代の遺跡物も展示されていました。ここに来る途中にいくつも古墳を見かけたのです。
浅海さんと宮澤さんのおかげで見どころの多い充実した1日となりました。