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黒部、雲ノ平を歩く

 黒部源流にある雲ノ平は、写真や映像では見たことがあるものの、憧れの場所でしかありませんでした。それが実現したのは、黒部へ何度も行っている友人のS氏の誘いのおかげです。

 8月1日に富山県側の折立から入り、長野県の高瀬ダムの方へ降りる4泊5日の山歩きです。男性4名、女性2名のパーティで行ってきました。4泊のうち、2泊は山小屋泊まり、2泊はテントキャンプですが、女性2名はすべて山小屋泊という計画で行きました。


 7月31日、東京駅近くの鍛冶橋バスターミナルから富山方面行きの夜行バスに乗りました。料金は5650円で、朝6時に富山駅に到着予定でした。

 夜行バスは、冷房が効きすぎていて備え付けの薄い毛布をかけても寒かったです。あまり眠れませんでした。

 朝6時に到着し、6時10分の折立行きのバスの乗る予定でしたが、夜行バスは、出発が遅れたこともあり、6時20分ごろ到着で、すでに折立行きのバスは行ってしまった後でした。仕方なくタクシーで行きましたが、人数が揃えばそれほどの負担ではありません。

 折立は、標高で1350mあります。しかし、暑かったです。8時45分ごろ出発しました。最初は樹林帯の登りになります。急な登りの途中、遠くに太郎平の草原の端が見えますが、まだまだ登らなくてはならないことを知らされます。樹林帯の中は、上から暑い日差しがあり、風が通らず汗がどっと出ます。私は、夜行バスの寝不足とこの暑さで参ってしまいました。


 樹林帯の登りを2時間半ほど続けると、ようやく草原の端に出ます。日差しは相変わらず厳しいのですが、時折吹く風が気持ち良いです。

 私と70歳を超えるY氏の2人は、体調を考え休憩をとりながらゆっくり登ることにしました。

 太郎平小屋に私たち2人が着いたのは3時です。折立から6時間15分程ですから、コースタイムの5時間から1時間15分の遅れとなりました。S氏達はもっと早く到着しています。

 太郎平では、生ビールを冷えたジョッキに入れて売っています。この日は、ここから20分ほど降ったキャンプ場までで終わりですから、即ビールを頼みました。


 薬師峠のキャンプ場は、太郎平小屋から20分ほど薬師岳へ向けて下ったところにあります。キャンプ場へ向かう木道を歩いていくと、目の前に薬師岳が大きく見えてきます。

 薬師峠のキャンプ場は、水場も近く、トイレも綺麗です。快適なキャンプ場です。

 テントを張り、夕暮れのわずかな時間でしたが、スケッチブックを取り出し、目の前の北ノ俣岳を描きました。


 2日目、みんなは朝5時過ぎに空身で薬師岳往復へ出かけました。私は残ってその間に水彩を描くことにしました。実は、前日の登りで少々熱中症気味だったので、そのように判断していたのです。

 1枚目は、キャンプ場からすぐ上がったところから描きました。目の前に明日登る雲ノ平があり、その向こうの三俣蓮華岳の肩に、槍ヶ岳の穂先が見えていました。深い谷は黒部川源流です。この日は、薬師沢小屋泊まりです。絵の青い影の一番手前あたりに小屋があります。この日は降っていくだけですから、私にとってはとても楽な1日です。しかし明日はあの谷底からあれだけ急な登りをするのかと覚悟させられます。

 2枚目の絵は、もう少し太郎平に近いところから描きました。みんなは今はどの辺りにいるのだろうかと眺めながら描きました。

 3枚目は太郎平小屋の前のベンチから描きました。一度描いているので、今度は無駄な筆づかいをせずに描くことができました。

 みんなが戻ってきたのはお昼近くです。途中テントを撤収してから来ていますので、時間はかかっています。往復5時間ほどはかかっているのではないでしょうか。私はその間、十分休養を取らせてもらいました。

 しかし、立派な山容の薬師岳へ登らなかったことは、少々心残りとなりました。


 薬師小屋へは、太郎平小屋からどんどん下って行きます。1時間ほど降ると沢に出ます。とても水が冷たく気持ち良いです。道はさらに何度か川を渡りながら、草原の中を下るようになります。ここから下の方、薬師沢と黒部谷との合流地点辺りをカベッケが原と言います。妖怪伝説があり、「オーイと声がするが返事をしてはいけない。返事をすると妖怪に取り憑かれてしまう」と言われています。この辺りのことは、三俣山荘の小屋主だった伊藤正一さんが書かれた『黒部の山賊』に詳しく載っています。

 太郎平小屋からは2時間少々で降って来ました。まだ夕食までは時間があります。我々は、小屋で冷えた缶ビールを買って、河原に降りてのんびり過ごしました。

 3日目の朝は6時半前に出発しました。まずは、雲ノ平へ上がらなくてはなりません。

 小屋の前からつり橋を渡るとすぐに樹林帯の急登になります。岩がゴロゴロした斜面を正に急登です。2時間ほど登り続けるとやっと木道が現れました。

 そしてさらに30分ほど歩くと開けた場所に出ました。「アラスカ庭園」とあります。薄茶けた地面の平地で、それほど美しい場所とは言えませんが、雲ノ平へ上がったという思いと、展望の良さでホッとできる場所です。


 雲の平は平らではありません。緩やかな起伏をしながら祖母岳の横を通り、祖父岳へ向けて登っていく感じです。意外と登り降りがあります。しかし、広々と開けた台地の上からは、周りの山々がよく見えていて雲ノ平と呼ぶにふさわしい場所です。

 アラスカ庭園から1時間ほど雲ノ平を歩くと雲ノ平山荘の前に出ます。

 ここで私たちは相談しました。まだ午前中ではありましたが、私とY氏の2人はこの先のキャンプ場に泊まり、他の4人は当初の計画通り三俣山荘へ向かうことになりました。

 Y氏は、ご自分の体力を考えて無理をしないことにしたのです。私は、前日に薬師岳へ登らなかったので体力は回復していましたが、雲ノ平の景色を十分に味わいたかったので、雲ノ平に留まることにしました。

 雲ノ平キャンプ場は山荘から1㎞ほどのところにあります。とても冷たい水が流れ続ける水場があり、立派な建物のトイレもあります。

 稜線からは下がったところにあり、展望は、目の前の祖父岳と黒部源流部を挟んで向こう側の黒部五郎岳だけなのが残念ですが、快適なキャンプ地です。

 ここで、みんなで昼食ののち、4人は祖父岳を経て黒部源流経由三俣山荘へと向かいました。

私は、一足先に出て、スイス庭園方面へ行きました。Y氏はテントで休憩です。


 雲の平から、水晶岳が目の前に大きく見えます。明日は、水晶岳の向こう側にある野口五郎岳へ向かうことになっています。私がスケッチをしている横を4人の仲間が通って行きました。


 雲ノ平のスイス庭園は、一番気持ちの良い展望場所かもしれません。目の前の水晶岳から続く赤牛岳や黒部川を挟んで向こう側に大きな山容を構える薬師岳が一望できる場所です。黒部川から吹き上がってくる風も心地よいです。大きなベンチもあり、ここに寝そべっていると「本当に雲の平まで来て良かった」と思いました。


 テント場へ戻って来ても、まだ十分時間はあります。今度は、テント場とその向こうの祖父岳をスケッチしました。

 私が、スイス庭園に行っている間に、Y氏は1㎞離れた雲ノ平山荘までビールを買いに行っていました。

 この日は、日没とともにテントで寝てしまいましたが、夜9時ごろに目を覚ましてテントから顔を出すと、一面の星空でした。どれがどの星座かわからないぐらい一杯の星で満ちていました。実は、初日のテント場ではぐっすりと寝てしまい、星空を見損なっていたのです。


 私とY氏は朝5時にテント場を出発しました。途中、Y氏がまだ行っていなかったスイス庭園に立ち寄り、祖父岳山頂を目指しました。祖父岳山頂では、なぜかそれまで圏外であったスマホが繋がりました。ひとまず家内へ無事に山歩きを続けていることをメールしました。

 祖父岳からは一旦、岩茸乗越まで降ります。岩茸乗越は、黒部源流部の谷の一番上にあたります。ここからしばらく降ったところに黒部源流の碑があるようです。谷の向こうにあるのは三俣蓮華岳ですが、その降って来た鞍部に三俣山荘が見えています。

 仲間の4人は、今朝、三俣山荘を出発し、鷲羽岳を越えて水晶岳へ向かっているはずです。鷲羽岳から続く尾根を見て、今頃どこを歩いているのだろうと思いました。岩茸乗越から急坂を登るとワリモ北分岐と呼ばれる場所で、鷲羽岳からの道と合わさります。

 私は、この日は体力に余力があったので、もし、水晶小屋で4人が来ていなかったら、荷物を置いて水晶岳を往復しようと思っていました。

 そして、水晶小屋に着いたら、なんと4人のザックがすでにそこにあったのです。あとで聞いたら、4人は私たちよりも1時間早く三俣山荘を出発をしていたのだそうです。


 これから私が水晶岳へ向かったら、出発を遅らせることになるので、水晶岳へ向かうことは諦め、遠くに見える野口五郎岳をスケッチすることにしました。野口五郎岳は雪をいただいたように山頂付近が白い山です。この日に泊まる野口五郎小屋は山頂の向こう側にあります。

 野口五郎岳は白い砂礫に覆われて、たおやかな姿の山です。

 私は、体力に余力があったので、山頂まで一気に登りましたが、鷲羽岳を乗り越え、さらに水晶岳の往復をして来た2人の女性は、かなり力を使い切った感じで山頂に辿り着きました。

 4日間雲一つないような晴天でしたが、この日は、南に気になる黒雲がありました。野口五郎岳は滑落の心配はそれほどないようですが、雷を避ける場所が見当たりません。また、濃霧に包まれたら、道がわからなくなるかもしれません。

 野口五郎小屋は、山頂から北へ降ったところに見えていました。


 野口五郎小屋は、土曜日だからでしょうか。団体ツアー客も入り満員でした。あらかじめ用意された夕食は先着45名分しか無く、あとはカレーライスになるとのことでした。山小屋の食事は交代制ですが、私たちは3交代目ということになりました。寝場所も布団に2人ずつという割り当てでした。私は、寝袋を出して寝ることにしました。

 朝は、かなり早出の人が多いようで、3時にはゴソゴソと起き出していました。朝食も一番最後の番ですが5時でしたので、6時前に出発することができました。

 最終日です。烏帽子小屋を経由してブナ立尾根と呼ばれる急坂を下ることになります。三つ岳から見た景色です。右隅の方に降り立つ高瀬ダムが見えています。


 ブナ立尾根には12番まで番号の着いた標識があります。0番が烏帽子小屋で、12番が降り切ったところの水場です。烏帽子小屋を出発して降りにかかったのは朝の9時前です。

 ここで捻挫でもしたら困るので、慎重に降りて行きました。私が降り切ったのは、1時15分ごろでしたから、烏帽子小屋から4時間半ほどかかったことになります。S氏とその息子さんは、6番の中休みポイントまでは待っていてくれたりしましたが、そこからは先行し、45分ほど先に到着してテントを乾かすなどしていたようです。

 降り切ったところには水場があります。野口五郎小屋で0.5リッター100円で買った水はまだありましたが、天水のため美味しい水ではありません。水場で新しい水に入れ替えました。山の美味しい水は持ち帰って氷にすると綺麗な氷ができるのです。

 高瀬ダムまではまだ20分少々歩くことになります。長いトンネルを抜けるとダムです。トンネルを歩いていたら、子どもの頃見たアメリカの番組の「タイムトンネル」を思い出しました。知っている人は少ないかな。

 高瀬ダムからは電話でタクシーを呼ぶことになります。看板では電話をしてから1時間ほどかかると書いてあります。しかし、たまたま別の客のために上がって来ていたタクシーの運転手に声をかけたら、無線で連絡をしてくれ、それほど待たなくてタクシーに乗ることができました。

 駅近くの旅館でお風呂に入り、駅へと向かいました。

 たまたま、リゾートビューふるさと号の指定券が6人分取れ、缶ビールを買って乗り込みました。

そこまでは順調だったのです。缶ビールを口にしてしばらくしたら「篠ノ井線でレールの歪みが発見されたため、松本方面へ向かう方は、後から来る各駅停車の電車に乗り換えてください」というような内容の車内放送がありました。篠ノ井線の事故ですから大糸線で松本までは問題なく行けそうなのに、なぜ乗り換えなければならないのか疑問でしたが、各駅停車に乗り換えました。

 予定していた、あずさ30号には間に合いません。自由席券でしたから払い戻しはありませんが、リゾートビューふるさと号の指定席特急料金は払い戻してもらいました。

 松本駅では、あずさ30号に乗れなかった人も含めて、次の32号に乗ろうという人でホームは一杯になりました。待っている人は登山者が多く、さすが松本駅だと思いました。

 私たちは、最初から座席に座ることは諦めていましたから、列に並ぶことはせず、ベンチで待っていました。試しに、新宿行きの高速バスも調べましたが、満席でした。

 結局、あずさ32号の通路に陣取って東京へ向かいました。乗れただけでも良しとするしかありません。

 最後に、トラブルがありましたが、今回の黒部の山歩きについては、5日間も天候に恵まれ、怪我もなく全員歩いてこられたのはとても良かったです。

 黒部の山を案内してくれたS氏に感謝です。また、一緒に登った仲間がいたからこそ、歩き通せたように思います。

 私は、薬師岳に登れなかったことが少し心残りですが、それは、今回で黒部の山歩きを完結しないための課題として置いておくことにしたいと思います。