2017年の7月から10月にかけての本の紹介です。
『たった一人の生還』『ミニヤコンカ奇跡の生還』『サバイバル』『100年前の山を旅する』『狩猟サバイバル』『サバイバル登山家』『ツンドラサバイバル』『外道クライマー』『山の不思議発見』『山小屋の主人を訪ねて』『山小屋からの贈りもの』『山の仕事 山の暮らし』『古道巡礼』『山と渓に遊んで』『道なき渓への招待』『タープの張り方 火の熾し方』『源流テンカラ』『日の名残り』『絵本 きょうはマラカスのひ』『ドリトル先生航海記』を紹介しています。
2冊の本、片方はヨット、もう片方は表紙からもわかるように登山です。しかし共に遭難から生還し、生きぬく力ということで共通しているだけでなく、実は著者同士の関わりがあるのです。
佐野さんは、ヨットレース中にヨットが転覆し、27日間も漂流し、6人中1人だけ生還する体験をします。生還してからも自分だけ生き残ったことについて悩み、心の漂流をします。本でも後半の4分の1はこのことについて書かれています。その時に、副看護部長さんから渡してもらった松田宏也さんの「ミニヤコンカ奇跡の生還」の本が心の支えの一つになるのです。
松田宏也さんの「ミニヤコンカ奇跡の生還」は、本当によく生きて帰ってこられたものだと思う記録です。凍傷で歩けなくなってからも、最後は這ってでも前に進み、村人に発見されて助かります。
松田宏也さんの「ミニヤコンカ奇跡の生還」はヤマケイ文庫から出ています。
増補 サバイバル! 服部文祥 ちくま文庫
これは、文庫本として2016年に出された本であるが、2008年にちくま新書として出されたものを新たに増補して出版されている。
服部文祥の本としては、『サバイバル登山家』が2006年に出版されており、それが最初である。
私が初めて彼の本を読んだのは『100年前の山を旅する』(2010年東京新聞出版)であり、この本を読む限りにおいては、それほどサバイバル登山のイメージは湧かなかった。
しかし、『サバイバル!』と『サバイバル登山家』と『狩猟サバイバル』を立て続けに読み「こういう人だったのか!」と強烈な印象を受けたのである。
7月にNHKで「大自然グルメ百名山〜家族でサバイバルな旅〜」が放送されたが、イワナ釣りが主体であり、鹿を撃って解体するなど普段のサバイバルの姿は放送されなかった。私は見なかったが「情熱大陸」ではそうした映像も紹介されたようだ。
服部文祥の本は、「100年前の・・・」と文庫本以外は図書館で借りて読んだ。書店での本の回転が早いので、時が経つとすぐに見かけなくなってしまう。この文庫本はまだ書店に並んでいるようだ。
『100年前の山を旅する』2010年東京新聞出版
この本をなぜ書店で手に取ったかというと、田部重治の「東沢を遡る」を100年前の姿や装備で登る記事があったからである。
私が、笛吹川の東沢へ行くようになったのは、田部重治の本を読んだからであるが、まさか、その当時の姿格好で東沢へ行く人がいるなんて思ってもみなかったのである。
塩山駅から西沢渓谷入り口までバスもあるが、あの長い道を徒歩で行き、しかもテントも張らずに山の中に泊まるなんて考えられないことである。
しかし、田部重治氏らは当たり前のようにそうしていたのであり、それを追体験する記事は興味深かった。
本の後半にサバイバル登山のことが出てくるが、この本を読んだときは、まだ服部文祥のことをよくわかっていなかったのである。
『サバイバル登山家』2006年 みすず書房 は、服部文祥の最初の本であり、彼がサバイバル登山へ向かっていく過程がよくわかる。本の終わりの方に、銃による狩猟を始めたことが書いてある。雪の黒部など山登りの様子が、彼の臨場感ある文章力で楽しめる。
『狩猟サバイバル』2009年 みすず書房 は、銃による狩猟のことが中心となっている。彼は、2005年に山梨県の小菅村の狩猟チームに加わって狩猟を覚えていき、現在は単独で狩猟を行なっている。巻狩りに加えてもらって経験を積むことから話は始まっている。
生き物の命を頂き、それを食料として我々は生きているのであるが、そのことを実感する文章である。親子の鹿を撃って解体する場面など、リアルに伝わってくるものがある。服部文祥のサバイバルということから言うと、こちらの本の方がより服部文祥の姿がわかるように思う。
『ツンドラ・サバイバル』2015年 みすず書房
本の前半は「サバイバル・ニッポン」であり、後半が「ツンドラ・サバイバル」である。
どちらも取材を受けながらサバイバルの旅をした時の記録である。
前半は、情熱大陸の番組。後半はNHKの番組である。
情熱大陸の取材は冬と夏の二つの季節に渡っており、冬は狩猟サバイバルである。夏の南アルプスで彼は、滑落事故を起こして大怪我をしている。しかし、事故としてヘリコプターを呼ぶと番組として後で問題になる可能性があるので、我慢して自力で麓まで行くところが凄い。
ツンドラ・サバイバルは、ツンドラ地帯にある隕石湖エル・ギギトギンまで歩き、幻の新種岩魚を釣り上げて食べるという内容である。旅は本当に偶然なのだろうかと服部氏も思う遊牧民ミーシャとの出会いがなければ成立しなかったのではないかと思える。ミーシャとロシア人との関係や、服部文祥との交流がドラマとなっていて読み応えがある。
本来の隕石湖での釣りは、結果オーライであるが、そこまでの旅に比べてあっさりとしている。
「外道クライマー」宮城公博 著 集英社インターナショナル 2016年初版 1600円+税
「外道クライマー」は、昨年出版された本なので、まだ書店で見かけることもある。しかし、購入するのをためらうタイトルである。
とりあえず、図書館から借りて読んでみた。タイトルからする印象とは違って文章は整っていて読みやすい。
沢登りに対するこの人の思いもよく伝わって来るし、ドキュメントとしても、リアルに現場の様子が見えてくる文章である。
冒頭の「逮捕!日本一の直瀑・那智の瀧」では外道ぶりを発揮し、タイトル通りである。
しかし、この本のメインは「タイのジャングル46日間の沢登り」と日本一の落差を誇る称名滝とその上にある称名廊下の渡渉の記事だと思う。
とても自分では行けそうもない世界を一緒に行ったように味わわせてくれる。
購入しても損はない本だと思う。
少し長いが、この人らしさと、この本の印象を伺わせる文章があるので、引用して紹介する。
P103〜P104
ヨーロッパ発祥のキャニオニング(沢下り)が「泳ぐ、飛び込む、大きな滝をロープで一気に駈け下る」と、爽快で見栄えのいい女子受けするウォータースポーツであるのに比べ、沢登りはスポーツとは程遠い。「薮、泥、虫」にまみれる野蛮で原始的な遊びなのだ。人類未踏の渓谷に入り、巨大な滝を登ると言うと聞こえはいいが、その実態はこうだ。
右手は今にもちぎれそうな草を鷲掴みにし、左手は粘膜たっぷりのカエルの穴倉に突っ込む。両足は泥だか岩だかわからないようなものに乗せ、なんとか手を伸ばして這い上がろうとすると、次に掴まなければならないのはヘビがとぐろを巻いている細い枝だ。下は濁流が渦巻いており、落ちればどう考えても助からない。「頼むぞ」と声を上げ、まさに頼みの綱であるロープを握っているパートナーを振り返れば、なんとロープなんぞ握っていない。両手を離してタバコに火をつけるのに必死でロープのことなんて忘れている。
と、さすがにここまでひどい状況はそうそうないが、野蛮で原始的な沢登りの世界には、それにふさわしい野蛮で原始的な人間が多いのだ。
免疫力が落ちるという意味不明の理由で風呂に入らない男。「歯磨き」という小学生ですらする行為をやったことがない男。沢帰りの電車の中で靴下を脱いで、あまりの臭さに異臭騒ぎを起こした男……。沢ヤの世界では世間の常識どころか、世間から見れば破天荒とされる山ヤの常識ですらまったく通用しない。沢登りの王道は「臭い」「汚い」「危険」の3Kとも言われている。
そんな沢登りだが、他の登山にはない圧倒的な魅力がある。それは探検性の高さだ。
小泉武栄 著 ヤマケイ新書2016年 780円+税
最近私のザックの中にはこの本が常に入っています。1回一通り読んだのですが、繰り返し読んでいるのです。
この本の前に岩波新書から「山の自然学」という本が出ています。「山の不思議発見!」は扱われている事例は少なくなっていますが、その分詳しくなっています。
1章 「なぜ?」から始まる知的登山
2章 「自然」を本当に観察していますか?
3章 富士山 カラマツが語る噴火の歴史
4章 八ヶ岳 コマクサはスコリアがお好き?
5章 早池峰山 謎だらけの植生分布
6章 飯豊山1 強風と多雪がもたらした偽高山帯の植生景観
7章 飯豊山2 風食がもたらす豊かな植物相
8章 朝日連峰 豊かな植生の創造主は強風だった?
9章 縞枯れはなぜ起こる
10章 くじゅう火山群のミヤマキリシマ群落はなぜみごとなのか
11章 多様性と不思議に満ちた日本の山
上の二つの写真は私が先日三頭山の中腹で撮影したものです。樹の表示を見ると「ケヤキ」とありました。「ケヤキ」は東京や埼玉の郊外でよく見かける大木で、大きく枝を広げた姿は武蔵野の象徴のように私は思っています。それがなんで山奥の急な斜面に生えているのか。それもすべすべ滑らかな木肌ではなく、なんとも荒々しい木肌。表示を見なかったら「ケヤキ」とは思わなかったでしょう。
しかし、実は「山の不思議発見!」の最初の方に山の中の「ケヤキ」について書かれているのです。ネットで調べても、この本に書かれているようなことは出て来ません。小泉先生の探求力に驚くばかりです。
縞枯れ現象については、岩波新書の方にも載っていました。しかし、こちらの本の方が詳しいです。私は、まだコメツガとシラビソの区別がつかない程度ですから、今度八ヶ岳へ行った時に、この本で読んだことを実際に目で見て確かめようと思っています。
高桑信一さんは浦和浪漫山岳会を立ち上げて、そのOB会員です。浦和浪漫山岳会は奥利根の沢をことごとく踏破していることは、最近本を読んで知りました。
実は、私が高桑さんの本を初めて読んだのは昨年のことなのです。それまで高桑さんについては知りませんでした。
最初に読んだのが「山小屋の主人を訪ねて」と「山小屋からの贈り物」です。
「山小屋の主人を訪ねて」は魅力ある小屋主のいる山小屋を訪ねて、小屋主の人柄や山小屋やそれを取り巻く美しい自然を紹介している本です。読んでいると、その山小屋を訪ねたくなります。
同じように人物を取材して本にまとめているのが、「山の仕事、山の暮らし」です。単行本が出たのは2002年ですが、2013年にヤマケイ文庫から出ており書店で見かけます。
高桑さんの代表作と言えるのが「古道巡礼」です。高桑さんはもともと沢登りなど、登山道以外の山道を歩くのが得意な方ですから、古の道を探しながら辿って行くことは山歩きのスタイルとそれほどかけ離れていないのでしょう。そこに道とは切り離せない人の生活を浮かび上がらせて行くことが高桑さんらしいところです。丁寧に取材して作られている本だと思います。「タープの張り方 火の熾し方」の中でご自身が「愛すべき自著」としてこの本をあげています。
私の好きな本に「山小屋からの贈り物」があります。高桑さんが飯豊連峰の門内小屋の小屋番をした時のことをまとめた本です。高桑さんの人柄が見えてきて味わい深い本です。
高桑さんの人柄に迫るなら「山と溪に遊んで」です。ご自身の半生を辿った本です。「道なき溪への招待」も高桑さんの沢歩きへの思いや考えがわかります。
最後に新しい本で「タープの張り方 火の熾し方」と「源流テンカラ」を挙げておきましょう。釣り好きの人はすでに「源流テンカラ」は書店で手にとって見ていることと思います。「タープの張り方 火の熾し方」は沢歩きのノウハウだけでなく、高桑さんの沢歩きに関する思いが書かれていて、単なるガイドブックには終わっていません。先の「道無き・・・」よりは読みやすい本です。
もっと早く高桑さんのことを知っていたら、私はもっと影響を受けていたことでしょう。
カズオ・イシグロさんについて、私は全く知りませんでした。日本で生まれましたが、幼い頃イギリスへ渡り、イギリス国籍の方です。アンソニーホプキンスが主演した映画もあったようですが、それも知りませんでした。ところが、家の本棚に「日の名残り」があったのです。家内がずっと前に購入し、そのまま読まずに置いておいたようです。
私は、早速読んでみました。
本の最後のところを少し紹介しているので、知りたくない人は、この先読まないでください。
イギリス名家の執事スティーブンスが主人公です。執事というと、私は、サンダーバードのパーカーを思い浮かべてしまいます。
物語は、その館を買い取ったアメリカ人の主人から、旅行を勧められてイギリス西部コーンウォールに向けて旅をする中で語られる話です。
旅の様子を描写する中で、ごく自然に主人公が仕えていた元のご主人のダーリントン卿やその時の館を取り巻く状況が語られます。また、執事としての品格にこだわる主人公の姿も伝わって来ます。
召使不足の問題を解決するため、元女中頭のミス・ケントンを訪ねることが旅の大義名分でした。そうでなければ自分自身の執事としての品格が旅を許さなかったでしょう。
主人公は旅の最後にミス・ケントンに会います。
主人公が館へ戻る時に、新しいアメリカ人の主人に仕えるために、アメリカンジョークを言えるようにしようと心に決めるところが良いです。
8月に平塚市美術館で行われた「ブラティスラヴァ世界絵本原画展」を妻と二人で見に行きました。たくさん展示されていた絵本の原画の中で、私も妻も気に入ったのが樋勝朋巳さんの「きょうはマラカスの日」でした。
しかし、書店の絵本売り場ではなかなかこの本は見かけないのです。絵本をたくさん置いてある書店にもありませんでした。ネットで注文すればすぐに手に入るのでしょうが、そのままになっていました。それが、先日東京駅近くの丸善に行って絵本売り場を見ると、この本が表紙を見せて置いてありました。しかも何冊もまとめて置いてあります。ここの担当者もこの絵本を気に入ったのでしょうか。早速買って帰りました。
クネクネさんとパーマさんとふわふわさんが登場人物?です。(クネクネさんは犬かな?)
3人ともマラカスを使った踊りが大好きです。そこで3人で発表会をするというストーリーです。
「チャッ チャッ チャチャッ」と声に出して読みたいです。子どもとそういうふうに読むときっと楽しいでしょう。
孫が来た時にそうしようかなと思っています。
ストーリーはただ発表会をするというようにすんなりとはいきません。それはぜひ購入して読んでください。
「きょうはマラカスのひ」樋勝朋巳 文・絵 福音館書店 定価(本体1400円+税)
子どもの頃に読んでおけば良かったと思う本がいくつかあります。この本もそうです。
2014年に生物学者の福岡伸一さんが訳した本が出版されました。それまでの翻訳本は井伏鱒二氏によるものです。井伏鱒二氏は初めてこの本を翻訳して日本に紹介した時に、Doctor Dolittleを「ドリトル先生」と訳しています。福岡さんもこれを名訳だと書いていますが、私もそう思います。Do littleは直訳すると少ししか働かない・・・怠け者という意味ですから、「怠け者先生」となっていたかもしれないのです。
福岡伸一さんは、生物学者で「動的平衡」という本も出されています。その福岡さんの訳では、ドリトル先生を少し若く設定しています。井伏鱒二氏訳では、ドリトル先生は「わしは・・・」という話し方をしますが、福岡訳では「私は・・・」になっています。他にも比べて見ると面白いのですが、全体として読みやすくなっています。そうは言っても井伏鱒二氏が最初に工夫して日本語に訳した功績は大きいです。
福岡伸一氏は、出版の前にイギリスへ行き、架空の町パドルビーと思われる町を探し、物語のスタビンズ少年と同じように護岸に腰をかけて船を眺めました。その時の記事が2010年の雑誌「考える人」に特集で掲載されました。
そして、2014年の3月に福岡伸一氏訳の「ドリトル先生航海記」が出たのです。私が初めてドリトル先生航海記を読んだのは、この時が初めてなのです。
子どもになったような思いで、夢中になって一気に読んでしまいました。
福岡氏も書いているように、ドリトル先生の素晴らしさは、フェアネスです。誰だろうと軽んじる扱いをしません。その精神に物語が貫かれているのです。子どもの頃に読んでおくべき本だと思います。
最近読んだ本に加えた理由は、こちらにあります。英語版の本を1年ほど前に手に入れ、先日やっと読み終わったのです。
英語の勉強をここ数年やり直しています。きっかけは、日本に来たアメリカ人と音楽のセッションで意思の疎通を図る必要があったからです。その友人は、アメリカへ帰っていますが、私の英語を学ぼうとする試みは細々と続いています。
たまたまこの本を書店で見つけてページを開くと、意外と読みやすかったのです。
中学校の英語ができればかなり読めるのではないでしょうか。
落語家の柳家小三治が50歳の時にアメリカへ英語留学に行っています。その時の様子は「めりけん留学奮戦記」としてCDにもなっています。
小三治ではないですが、この歳になってから英語を学ぶ面白さに少しハマっています。