「最近読んだ本」から名称を変えました。新刊本に限らず面白いと思う本を紹介します。動画での紹介も行うことにしました。
今回、ユーチューブには土曜日にアップしましたが、ホームページにリンクを貼るのを忘れ、1日遅れました。YouTubeでユーザー登録をしてもらえると、アップされた動画を見つけやすくなります。
動画での図書紹介2作目です。
荻原浩については、別にページを設けて紹介していましたが、動画で紹介することにしました。
ジュリアン・サンクトン著
越智正子 訳
2023年1月 パンローリング株式会社
アンドリアン・ド・ジェルラッシュ・ド・ゴメリーを隊長とするベルギーの南極探検隊が、1897年から99年にかけて行なった探検の様子を紹介するノンフィクションである。
原題が"MADHOUSE at the END of the EARTH" 日本語版の副題に「隊員のほとんどが正気を失った探検隊の真実」とあるように、この探検隊の南極での越冬は悲惨なものであった。2度目の冬を迎える前に、奇跡的に氷から抜け出して生還できたが、2度目の越冬をしていたら、医者としてこの探検隊に参加していたフレデリック・クックが予測したように何人も死者が出たことであろう。
クックは、のちにピアリーと北極点到達を争うが、到達そのものが嘘であると詐欺師のレッテルを貼られた人物である。
この本の著者、ジュリアン・サンクトンは、「火星への移住」の雑誌記事をたまたま目にし、NASAが支援する「閉ざされた空間での人間関係」を調べる研究について書かれた記事を読み、その中で、ベルジカ号での越冬について知り、そしてクックのことについて書かれている記事が、彼の興味を引いたようだ。
フレデリック・クックは、米国史上、最も恥知らずな詐欺師として知られているが、彼のおかげでこの探検隊は全滅を免れたというのだ。
ジュリアン・サンクトンは、隊長の曽孫にあたるアンリ・ド・ジェルラッシュを訪ね、航海日誌を見せてもらったり、ベルギーの博物館に所蔵されているたくさんの資料を調べたり、隊員が書いた日記や報告書を丹念に調べている。それだけではなく、実際に南極へも出かけて行っているのだ。
今では隊長のジェルラッシュの名前がつけられている南極の海峡の景色も越冬中に亡くなったエミール・ダンコ中尉の名前がつけられている島も実際に見ているのだ。
だからこそ、この本に出てくる、船から離れ氷上でのアムンセンとクックの冒険旅行も、リアルな描写になっているのだろう。
アムンセンはこの探検隊に一等航海士として参加していたのだ。
実は、ベルギーの探検隊とうたっていたが、ノルウェー人、アメリカ人、ポーランド人、ルーマニア人、フランス人などもメンバーに入っている国際色豊かな探検隊なのだ。
ベルギー人を増やすために、無理をして入れた船員たちが、南極に着く前に南米の港に立ち寄ったところで隊長の言うことを聞かず反乱同然の状態になり、そうした不良船員を解雇したため、南極へ向かうときには、ベルギー人以外の人数の方が多くなっている。
期せずしてベルギー探検隊というよりも国際探検隊の様相になってしまったのである。その中での人間関係の調整は大変だったようだ。
そして、船が氷に閉ざされて越冬せざるを得なくなった時、隊員たちは体調も精神も正常ではなくなって行くのである。
今日では「越冬症候群」と呼ばれる体調や精神の不調をクックは「極地性貧血」と呼んでいたようだ。その対処法を彼は独自の直感で行っている。
また、壊血病と思われる症状も隊員に広まっていたのだが、壊血病が必須栄養素のビタミンC欠乏であることがわかるのは、この探検隊よりも30年以上先のことである。しかし、この時代、柑橘類を食べるとこの病気を避けられることは経験からわかってきていたので、この探検隊もライムジュースを積んではいたのだ。どうやらライムジュースはレモンに比べてビタミンCの効果はかなり低いらしい。
こうした中、元気だったのは、ドクターのクックだけだった。彼は、この探検の前に北極圏の探検をしており、イヌイットが生肉を食べることで、健康を保っていることを知っていたのだ。それで、ペンギンの生肉を食べることをこの探検隊でも推奨したのだが、それはなかなか受け入れられなかったようだ。しかし、最初にアムンセンがそれを受け入れて元気になり、船長のルコワンドも一時は明日死ぬかもしれないぐらいの状態になったのだが、生肉を食べ始めて日に日に回復する姿を見せたため、他の隊員たちもペンギンの生肉を食べるようになっていったようだ。しかし隊長だけは最後まで自分が調達した缶詰を食べることに固執したようだ。
みんながペンギンの肉を食べるようになると、ペンギンの肉が不足してきてしまった。そこで、ペンギンを探してアムンセン、クック、ルコワンドの三人が船を離れて旅に出る。
彼らは自分たちのことを「ペンギン騎士団」と称して、団結して危機脱出をして行くことを誓っている。
危機状態にあるときに、絶望して無力感だけがいっぱいになって行くことは、壊血病などの病気からくるものだけでなく、精神や体を蝕んで行くようだ。
そうしたときに、クックが閉ざされた氷からの脱出案を出す。無駄に思えることでも、みんなが力を合わせて取り組むだけで、精神的にはプラスになったようだ。
この探検隊は、それに幸運が合わさって、脱出できたというところであろう。
アムンセンはクックを師と仰いでいたと、この本は書いている。アムンセンに犬ぞりの有効性を話したのも、北極点の探検を変更して南極探検を勧めたのもクックである。
アムンセンが持って行って南極点に立てたテントも、クックが考案した強風に強い形のテントであった。
実は、この本のエピローグは、ねずみ講まがいの石油詐欺で14年の刑を受けて収監されているクックをアムンセンが刑務所に訪ねる場面から始まっており、本文の終わりも、クックとアムンセンの話で終わる。
この本では、クックとアムンセンが影の主人公であるように私は思う。
ベルジカ号のことは、スコットやアムンセン、そしてシャクルトンほどは知られていないのではないかと思う。私も全く知らなかった。どのような南極探検であったか知ることも興味深いが、それ以上に悪名高いクックの知られざる良い面を理解できたことを面白く感じた。
著者がこの探検から学ぶことは「けっして運命だからと諦めてはいけないということだ」と書いているが、その精神を体現していたのがクックではなかったか私は思う。
それでも、私はクックの北極点到達もマッキンリー初登頂の嘘も確信犯的なものであっただろうと思っている。
余談になるが、氷に閉ざされて越冬した船と聞いたとき、私は、まずシャクルトンのエンデュアランス号を思う浮かべた。
隊長だったジェルラッシュが後年、ベルジカ号を作った造船業者と協力して、シロクマ狩りのツアー船「ポラリス号」を作るのだが、資金難から手放したその船が名前を変えたのがエンデュアランス号だったのだ。それが、またしても氷に閉ざされ、今度は船が破壊されてしまい、よく知られている生還のための壮大な冒険の旅をシャクルトンが行うことになるのだ。